「ぼくは海が好きで、海での撮影には胸が高鳴るのですが、ストーリーとしては、そこで人が死んでしまうとか憂鬱な話になってしまいます。アピンについては、映画のなかに彼の子供の頃の思い出話が出てきます。彼の両親が喧嘩をして、母親がまだ小さかった彼を海辺に連れて行ったときに、彼は母親を慰めるために星を落とそうとするというような話です。
(岩場の)彼には、そんな子供の頃から身体に染みついたものが反映されている。過去との繋がりを意味していると思います」
それからヒロインの弟のアギィ。彼がオモチャの携帯電話で話をする姿は、最初はたわいない遊びに見えるが、そこにも監督の追想に対する意識が反映されている。
「撮影の準備段階で、日常生活の小道具として出演者たちにいろいろなものを渡しますが、そのときアギィの小道具のなかにあのオモチャの携帯がありました。彼の父親はもう亡くなっているのですが、リハーサルを進めているときに彼がその亡くなった父親によく電話していました。それを見て、
本番でもそれをやってくれるように頼んだんです。だからこれはふたりのアイデアですね」
この映画では、盲人や知的障害者、外省人など誰もが、無意識の動作も含めてそれぞれに過去に想いを馳せている。そんななかでヒロインのカンイだけは、追想に駆られるような過去を持たない無垢な存在として映画に登場し、前向きに生きていく。そして、そんな彼女の憧れが大切な記憶に変わり、
自分なりに過去とともに生きる道を切り開くとき、そこに彼女の成長が見えてくるのである。
チャン監督の映画がかもし出す空気は、台湾映画の現状とも無縁ではないように思える。
「台湾映画は政府の補助金に頼っていて、それがなければほとんど作れないというのが現状です。その審査員にはテレビ局出身の人も多く、そうなるとテレビのディレクターがお金をさらっていくことになります。映画の機材が普及し簡便になったことで、台湾の監督たちは自分で機材を揃えることができるようになりました。
ほとんど家内工業の世界ですが…。これから先は、一方で通俗的なお笑い映画が生き延びていくと思います。そしてもう一方によりよいインディペンデント映画があり、その中間は無くなっていくでしょう。
産業の将来という点では、映画作りの環境は悪い方向に向かっている。しかし、映画は根本的に観客に見せるものであって、観客がどんなかたちであれそこに驚きを求め、こちらに観客に伝える何かがある限り、個人的には悲観はないです。ずっと自分たちですべてをこなし、映画を作ってきたのですから」
決して楽ではないが、悲観はない。それは「最愛の夏」の世界にも通じている。チャン監督は、家内工業という環境を積極的に受け入れ、そこから最良のものを引き出しているといえるのではないだろうか。
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