キャストがアマチュアの役者で占められた映画というと、撮影現場における自発的、即興的な要素を重視した作品であるような先入観にとらわれがちになる。しかも、登場人物の設定が按摩を営む盲人や知的障害者で、それを本当の盲人や知的障害者の人々が演じているとなれば、なおさらそんな印象を持ちかねない。
しかし、張作驥(チャン・ツォーチ)監督がこの映画でこだわるのは、そうした現場の空気ではなく、登場人物たちの過去や記憶である。
大学の夏休みに、台北から基隆に帰省している17歳のヒロイン、カンイ。彼女の両親は盲人で、小さな按摩院を営み、彼女の弟アギィには知的障害がある。その夏、彼女はアピンという若者に出会い、恋をする。アピンは、父親が大陸出身の外省人で、周りから疎外されている。張作驥監督は、このヒロインと彼女を取り巻く人々との絆の変化を、追想という行為を通して描きだす。
死期が近いことを悟った彼女の父親は、今は亡き妻との大切な記憶をもう一度自分の肌で確かめるため、久しぶりに思い出の場所を訪れる。彼女が恋する若者アピンは、人気のない海で空に小石を打ち上げながら、いまは亡き母親にひとり想いを馳せる。彼女の弟はオモチャの携帯電話で、姿を消してしまった人々に語りかける。この人が過去をいつくしむ行為、
その本質には、もはや障害も疎外も関係なく、そこからは表面的な現実とは異なる物語が見えてくる。
ヒロインはこれまで前だけを見つめてきた。港に向かって開かれた窓の向こうの世界や彼女が綴る日記は、これから起こることへの期待に満ちている。そして、夏が過ぎ去ろうとするとき、彼女の内面は明らかに変化している。この映画のラストは、彼女が現実と同時に過去をきわめて身近なものとして生きていることを物語る。ヒロインの夏が大切な記憶に変わるとき、
彼女は自分なりに過去とともに生きる道を切り開き、大人へと成長を遂げているのである。
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