鈴井貴之監督にとって4作目となる『銀色の雨』には、これまでの作品とは異なる新たな試みがある。浅田次郎の同名短編小説を映画化した本作は、初の原作物になる。さらに、北海道を舞台に映画を撮り続けてきた鈴井監督は、本作で初めて道外に飛び出した。
「北海道在住だから北海道で撮り続けるというのは自己満足でしかないのかな、という思いに駆られたところもあります。2005年に韓国へ映画留学に行っていたときに、北海道や日本を外から客観的に見られたということがあって、それならば映画の現場も北海道ではなく、外に出てみるのがいいだろうと。いろいろな企画のお話のなかに自分の思いと合致するものがあれば、自ら規制することもないと考えていたときに、この話が来たんです。原作はずっと前に読んでいて、僕は浅田次郎先生のファンなので、先生の小説を映画にできるというのは非常に光栄でした」
浅田次郎の原作の舞台は大阪だが、鈴井監督はなぜ米子を舞台に選んだのだろうか。
「宮城県や福島県などいくつか候補地はあったんですが、そのなかで米子を訪れたときに、ここで撮りたいと思いましたね。裏道に流れる小川とか、黒い瓦や黒い壁の町並みなどが手つかずのまま、観光地ではなく、人が生活していていまも生きている町として残っている。特に淀江という地区ですが、日本にもこういうところがあるんだなあと。また、僕は北海道の出身なので、瓦屋根とか細い路地とかがすごく珍しいということもありました」
原作との違いは舞台だけではない。鈴井監督は、時代背景を昭和から現代に変え、主人公の設定にも変更を加えている。原作に描き出されるのは裏の世界だが、映画には拳銃も出てこないし、警察が絡むこともない。
「原作はヤクザの話ですが、浅田先生から大幅な脚色を加えてもよろしいですよというお言葉をいただいたので、ならば映画オリジナルでということになりました。僕は拳銃がスクリーンに出てくることにはすごく抵抗を感じるんです。警察官であれば必然性もありますが、普通の人が持っているのは見たことがないし、リアルじゃなくなる気がする。だからそういうものは一切排除してなにができるか考え、章次というキャラクターの男らしさ、凛としたものを出すために、制作陣と話し合い、ボクサーという設定に変更しました。実はこれはいろいろな人間たちが身を寄せ合ったり、少年が一人の男と出会うことによってサナギから少し出かかるような物語なので、拳銃やヤクザには介在してほしくないという思いが最初からありました」
これまでの鈴井監督は、登場人物と距離を置き、その感情をさり気なく引き出すようなスタイルだったが、本作では登場人物にぐいぐい迫り、感情を浮き彫りにしていく。
「おっしゃる通りです。いままでは自分の解釈のもとに、いろいろな撮り方にチャレンジしていたんです。ここは顔なんか見えなくても引きでいいんだとか、ワンシーン・ワンカットでハイOKみたいにやってましたけど、今回は変に狙った撮り方をするのではなく、映画を観る人の心情としてここはアップが欲しいとなれば迷わず寄る。そういうことを一度、ちゃんとやってみようという気持ちが強かった。自分たちが作った映画ではありますが、観客のみなさんに手渡してその人たちに作品を育ててもらう。観終わってああ面白かったで忘れられてしまうのではなく、5年、10年経ってまた観たくなるようなものにしたいという思いがありましたね」
本作では、和也の前をよぎる巨大なプロペラの影など、風力発電の映像が印象に残るが、鈴井監督はなにを描こうとしたのだろうか。
「それは風が見たいということです。この映画では、雨が降っていたり、水辺が揺らいでいたり、風によっていろいろなものが漂っている。画はフィックスなんだけど、そこに映っているものはなにか動いている。そういうものを作りたいと思ったときに、僕のなかに象徴として風があって、風力発電なら風が見せられるのではと。だから、プロペラが動いているのではなく、風が動いているのをうまく出したいという気持ちが強かったですね」
『銀色の雨』で新たな世界を切り開いた鈴井監督は、これからどんな方向に進んでいくのか。次回作の予定はあるのだろうか。
「正直なところこの先は混沌としていますね。ちょっと脱線するようですが、自分が主宰していた“OOPARTS(オーパーツ)”という組織を12年ぶりに新たなプロジェクトとしてスタートさせます。以前は劇団という形でしたが、今度はその時々にご一緒したい人と表現したいものに取り組むプロジェクト集団としてです。そちらの名義と鈴井貴之名義の両方でやっていくので、表現としてはもしかして相反するものが出てくるかなと思ってます。映画の脚本も1本、自分の胸でまだちょっと暖めている段階ですが、ここで話したことと矛盾するというか、実はヤクザの話なので(笑)。昔、舞台をやっていた頃は、奇想天外で、人が何人も死んだり、悲惨な話もやっていたんですが、映画を作っていくうちにヒューマン・タッチになって、それまでにはないもうひとつの世界が埋もれちゃったんです。だから、今度は“OOPARTS”の活動と“鈴井貴之”の活動はいろんな意味で違いがでるかもしれませんね。まぁ、まだ何とも言えませんけどね(笑)」
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