『蛇イチゴ』でまず印象に残るのは、緻密で凝縮された構成である。倫子が婚約者を両親に紹介する頃、兄の周治は香典泥棒に精を出し、結婚と葬式が対置されていくかと思うと、家族の綻びとともに、今度はこの一家全員が葬式に引き込まれている。家族の誰かが家を出たり入ったりするうちに、彼らの嘘が次々と露呈し、短時間のうちに状況があわただしく変化していくことになるのだ。
「この構成にたどり着くまでにはずいぶん悩みました。やはり冠婚葬祭というのは、いろいろな人間が集まって、普段とは違う一面が見られるところがあって、ホームドラマには欠かせない、というよりこれを出したら間違いなく得するという要素なんですね。最初に脚本を書き出した時には、自分の映画への想いを塗り込めてしまって、とても複雑な話になっていたんですけど、映画化が具体的になる段階でとにかくシンプルにしようと考え、舞台とかワンセットもののように、家はひとつで動かさず、登場人物も最小限にしました」
香典泥棒の兄は嘘つきだが、それはばれることがわかっていてつく嘘である。これに対して、倫子や両親はばれると思って嘘をついているわけではない。
「自覚のない嘘ですね。なかでもいちばん無自覚なのが倫子で、兄がいることを婚約者に話さないというのも嘘でありながら、罪の意識をまったく感じない。兄の嘘は悪くて、自分の生活を守る手練手管は許されるみたいなものを転覆させたいという気持ちはありました。人が生きるためにつく嘘を否定するつもりはありませんが」
西川監督の魅力は、意地悪といえるほど踏み込める人間洞察にある。彼女は、登場人物に対して明確な距離を置き、彼らの痛いところを突きながら、巧みに笑いに変えていく。
「なんか意地が悪いんだと思います(笑)。私が好きな監督とか、鋭いなあと思って嫉妬するのは、その意地悪な視点だったりすることが多いです。意地の悪さがうまく笑いに転換できると、人は楽しんで観れるし、その度合いが強すぎて冷たくなってしまうと、すごく殺伐としてしまう。そのバランスが難しいと思うんですけど、意地悪だっていってもらえるのは、私としてはどちらかといえば嬉しいですね」 |