横浜でメリーさんと遭遇した人は、その存在に近づきがたいものを感じたはずだ。この映画を観ると、そんなオーラの意味がわかる気がしてくる。あの異形も、哀れみを拒むプライドも、すべては失われた横浜と深く結びついているのだ。では、中村監督の目には、メリーさんはどのように映ったのだろうか。
「私が中学生の頃には、メリーさんは単なる怖いおばちゃんだったんですよね。ほんとに恐怖しか感じなかった。それが、取材していくうちに、イメージがどんどん変わって、その異形が実に神々しく見えてきた。彼女の持つ歴史とかドラマを感じることによって、映画を作り上げたときには、逆に美しいなあと思えるところまで行っちゃいました」
『ヨコハマメリー』のなかに甦る共同体、その中心にいた元次郎さんもメリーさんも、いまはこの世にない。中村監督は、二人ととてつもなく貴重な時間を共有したことになる。
「今だから言えることですけど、ほんとにこれを撮ったのが必然だったのかなと。元次郎さんに出会ったことも、あの時期に癌になり、亡くなったことも。私は計算して撮るタイプですが、振り返ってみるとどうやって撮ったんだろうと思うシーンがたくさんある。もちろん積み重ねがあったからなんでしょうが、元次郎さんの想い、みなさんのメリーさんへの想い、それを最後に受け止めたメリーさんという関係性のなかで、自分はただ撮らされていただけなのかなという感じはあります」
『ヨコハマメリー』は、題材から独自の方法論が生まれた。では、題材が変わったら、方法論も変わっていくことになるのだろうか。
「次は、根岸家の時代を題材にしたいと思ってます。私はのめり込む性格で、この映画を撮ってる最中に、元次郎さんにのめり込んだ後、今度は根岸家にのめり込んで、メリーさんのことも忘れて、根岸家のことを調べまくっていた時期があったんです。その時に知った、ある有名なフーテン娘を追いかけようと思ってます。彼女は、19歳のときに愚連隊に殺されてしまった。アメリカに帰ってしまった黒人のGIと婚約していて、あと何ヶ月かしたら再会する予定だった。この話の流れは、メリーさんパートUだなと思って。いまリサーチしるんですけど、60年代に根岸家に出入りしていた愚連隊の話も絡めて何か描けないかと思ってます。いまは、どういうかたちにするか探っているところです」
中村監督が十代の頃に衝撃を受けた『ワイルド・スワン』では、文革の時代を中心に、三世代の女たちの物語が描き出される。それと『ヨコハマメリー』や次の企画を繋げてみると、彼は、歴史のなかである運命を生きる人間に強い関心を持っているように思える。
「ああ、それはあるかもしれません。あまり社会派ではないので、歴史を前面に出したくはないのですが、時代の裏にある人間の感情、その核には迫りたいと思ってます。メリーさんに関しても、やろうと思えば昭和史や戦後史をもっと背負わせてしまうことはできたんですけど、それはしたくなかった。今の日本のドキュメンタリーは、とにかくテーマが先行して、人間が炙り出されていきますけど、私は、まず人に会って会って会って、その人の感情の一部に歴史があればいいと思う。そこがすごく共感できる部分なんです」 |