ジョン・キャメロン・ミッチェル・インタビュー
Interview with John Cameron Mitchell


2001年 東京
ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ/Hedwig and the Angry Inch――2001年/アメリカ/カラー/92分/ヴィスタ/ドルビーデジタルSDDS・DTS
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(初出:「STUDIO VOICE」2002年1月号)
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異形の存在とパフォーマンスが、単純化されたセクシュアリティに
そしてポスト冷戦時代の閉塞状況に揺さぶりをかける
――『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』(2001年)

 

 『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』は、オフ・ブロードウェイで二年半以上に渡るロングランを記録したロック・ミュージカルの映画化である。このミュージカルを生み出したジョン・キャメロン・ミッチェルが自ら監督、脚本、主演をこなした映画は、各国の映画祭で多くの賞を受賞し、社会的な現実と寓話を融合させた愛の物語と挑発的なパフォーマンスが観客を魅了している。

 主人公ヘドウィグは、冷戦時代の東ベルリンで男の子ハンセルとして生を受け、米軍用のラジオ番組から流れるロックをむさぼるように聴き、アメリカに渡ってロックスターになることを夢見る。彼は米兵と結婚して自由を手にするため、性転換手術を受けるが、不手際から股間に“怒りの1インチ”が残ってしまう。

 アメリカに渡り、米兵に捨てられた彼女は、トミーという若者に出会い恋に落ちるが、彼はヘドウィグのオリジナル曲を盗んでロックスターになってしまう。裏切られた彼女は、自らのバンド“アングリーインチ”を率い、トミーの全国ツアーに付きまといながら、場末のレストランを巡業してまわる。

 強烈なウェーブのかかったウィッグとけばけばしい衣装で武装し、自らが背負った宿命を切々と、あるいは辛辣に歌い上げるヘドウィグ。彼女の存在とパフォーマンスは、単純化されたセクシュアリティだけでなく、ポスト冷戦時代の閉塞状況にも揺さぶりをかける。

――あなたはこれまで舞台や映画に俳優として出演する他、テネシー・ウィリアムズの脚色、演出なども手がけていますが、そうしたキャリアと『ヘドウィグ〜』の世界には結びつきがあると思いますか。

「以前はあらゆるメディアで俳優をやり、そういう経験というのは、自分で演じることにしても脚本を書くことでも『ヘドウィグ〜』に生かされていると思う。ただこれまで俳優をやってきて、もう人の言葉をしゃべることに飽きてしまい、その退屈さが自分の言葉で語ることに繋がったんだと思う」


 
―ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ―

◆スタッフ◆
 
監督   ジョン・キャメロン・ミッチェル
John Cameron Mitchell
撮影 フランク・G・デマルコ
Frank G. DeMarco
編集 アンドリュー・マーカス
Andrew Marcus
音響 スティーヴン・トラスク
Stephen Trask

◆キャスト◆

ヘドウィグ   ジョン・キャメロン・ミッチェル
John Cameron Mitchell
トミー・ノーシス マイケル・ピット
Michael Pitt
イツハク ミリアム・ショア
Miriam Shor
スキシブ スティーヴン・トラスク
Stephen Trask
フィリス・スタイン アンドレア・マーティン
Andrea Martin
(配給:ギャガ・コミュニケーションズ
Gシネマグループ)
 

――ヘドウィグのキャラクターに誰かモデルになった人はいるのでしょうか。

「カンザスに暮らしていた十四歳の頃に知っていたベビーシッターがモデルになっている。ヘドウィグのヴィジュアル・イメージのもとになったということだけど。彼女は兵士と結婚したドイツ系の女性で、トレイラーハウスに暮らしていて、ベビーシッターだけでなく、娼婦でもあった」

――『ヘドウィグ〜』の物語では“1インチ”が重要なポイントになっていますが、このアイデアは何か具体的なエピソードがヒントになったのでしょうか。

「いや、具体的なエピソードというのはなかった。まずこの物語を作っていくうえで、いくつか影響を受けたことがある。ひとつは、自分の一部が切り取られるという経験を意味する愛の神話だ。それから、私の父親がベルリンで司令官をやっていたということ。ベルリンは分割された都市だったからね。それとこの物語を練り上げているときに、ドラッグクィーンのクラブを使っていたこと。そこではセクシュアリティが非常に流動的なものになっていた。こうした様々な影響が頭のなかでひとつになり、ヘドウィグにとって最も重要な出来事である性転換手術というアイデアが浮かんできたんだ」

――プラトンの「饗宴」をヒントに、人間が自分の失われたかたわれを求めて彷徨うという“愛の起源”の話は、強い印象を残しますが、あなたは宗教的に厳格な家庭で育ったのでしょうか。そういう環境で育つと、宗教を受け入れるだけではなく、それを独自に発展させるということもあると思うのですが。

「確かにその通りで、カトリックの厳格な家庭で育ち、学校もずっとカトリック系の学校に通った。それでカトリックの儀式的な要素や神話が大切だという気持ちがいまでも残っている。トミー・ノーシスという名前もグノーシスからきている。私には、あの(映画に挿入される)アニメに描かれた創世記の方が、聖書に書かれたものよりも身近に感じられる。グノーシス派のキリスト教徒は、まさにあのプラトンの愛の起源についても語っているし、他のキリスト教徒に比べると、もっと東洋的な陰陽に関心を持ったり、外的な規律や関係よりも内面的な探求を重視していたから」===>2ページに続く

 
 
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