◇◇フェルナンド・E・ソラナス/Fernando E. Solanas◇◇

 

1936年2月16日、アルゼンチンに生まれる。ピアノ、作曲、文学を勉強し、後に演劇学校で演技と演出を学ぶ。62年、映画の仕事に着手。自分のプロダクションを設立し、400以上ものコマーシャルを作った。66年、最初の長編『燃える時』を発表。これはペサロ・シネマ・ノーボ映画祭グランプリ、英フィルム・インスティチュート最優秀外国語映画賞などを受賞。しかし、この作品はアルゼンチン国内では検閲を受け、そのため、学生や労働組合により秘密裏に上映された。そしてソラナスは公的な活動を阻まれることになる。
71年に作られた2作目『フィエロの息子たち』はアルゼンチンの国民的詩人マルティン・フィエロに誘発された作品であり、カンヌ映画祭(監督週間)で上映された。76年の軍事クーデター直後に祖国を離れ、77年には家族と共にパリに亡命。そして79年ECの協力を得て、国際障害者年のためのドキュメンタリー『他人の視線』を監督。これはカンヌ映画祭(フランス映画の展望)に招待された。
86年に日本公開された『タンゴ―ガルデルの亡命』は、ソラナス自身の半生とともに、亡命をテーマに描き、ヴェネチア映画祭審査員特別大賞を始め、沢山の賞を受賞。『スールその先は…愛』は、彼が8年の亡命の後に祖国アルゼンチンへ帰って作った第一作目であり、祖国、自由、民主主義への帰還を軸に愛の映画として描かれている。これは88年カンヌ映画祭最優秀監督賞を受賞。
『ラテンアメリカ 光と影の詩』は1990年9月撮影開始。撮影チームは50便以上の飛行機と電車、船が乗り継がれ、撮影ごとに800キロの機材を運んだ。ロケーションは16週間かけ5ヶ国にわたり敢行。都市のほか、マチュピチュ、モンテ・アルバン、オアハカ、ユカタンのマヤ遺跡、アマゾン、ベレン・デ・バラなど先植民地時代の景観を残している土地を訪ね、撮影は空前のスケールとなった。
一方、ソラナス監督はアルゼンチンの腐敗を厳しく批判し続けていた。このため、メナム大統領に名誉毀損で訴えられた。1991年5月、法廷で証言した翌日、銃撃され、負傷した。しかし、犯人たちは捕まらなかった。
ソラナスは監督であると同時に、音楽評論家、映画の撮影カメラマン、そして大学でも教鞭をとり映画を教えている。

(『ラテンアメリカ 光と影の詩』プレスより引用)


▼シェールガス採掘のためのフラッキング(水圧破砕)を題材にしたドキュメンタリー『La guerra del fracking(原題)』(13)。


ラテンアメリカ 光と影の詩 (1992)

 
 
 
 
 
 
 

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