わが家の犬は世界一

2002年/中国/カラー/100分/ヴィスタ/ドルビーSR
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(初出:「CD Journal」2005年4月号 路學長(ルー・シュエチャン)インタビューより抜粋のうえ加筆)
檻に入れられるのは犬だけではない

 路學長(ルー・シュエチャン)監督の『わが家の犬は世界一』の冒頭には、こんな説明がある。「1994年北京市は犬の飼育の厳重制限を決定、翌95年5月1日より一斉取締りが始まった」

 犬を飼うのには登録が義務付けられているが、登録料があまりに高額で庶民には手が届かない。だから、庶民は無登録で犬を飼い、運が悪ければ取締りに引っかかり、犬を取り上げられてしまう。この映画の主人公である労働者のラオも、そんな運の悪い庶民のひとりだ。金のない彼は、あれこれ知恵を絞って、何とか愛犬カーラを取り戻そうとする。

 この映画を観ながらまず気づくのは、犬をめぐる物語が、改革開放以後の変貌する社会と密接な繋がりを持ち、その一側面としてとらえられていることだろう。だから、このドラマからは、様々な社会の変化が見えてくる。しかも、鋭い風刺やユーモアを交えて。

 たとえば、ラオの息子リアンが通う学校の音楽の授業だ。生徒たちが合唱する歌には、「中国は大きなひとつの家」というような歌詞がある。それは明らかに、人民がともに歩む中国を賛える歌だ。しかし、改革開放以後の中国で、高層ビルが建ち並ぶ北京に、「大きなひとつの家」は存在しない。高層住宅を見上げるようにして長屋で暮らすラオの老母は、日照権の訴訟によっていきなり大金が転がり込み、面食らっている。友人の喧嘩に巻き込まれたリアンは、相手が転倒して骨折したために、その両親から訴えられそうになる。

 ラオは、大好きな麻雀をやめ、犬のカーラに熱中するようになった。その理由は、はっきりとは描かれないが、彼の一家のやりとりから見えてくるように思う。ラオの妻ユイランはリストラされたらしい。カーラを散歩させていたユイランが警察の取締りに引っかかるとき、ラオは夜勤で家にいない。おそらくラオは、妻がリストラされてから、残業や夜勤を増やしたのだろう。そして、苦労している割りには、妻や息子の理解がないと感じている。夜勤が増えれば、徹夜の麻雀もできない。家族への不満や苦労を麻雀仲間に話しても惨めになるだけだ。だからカーラに熱中するのだろう。


◆スタッフ◆

監督/脚本   ルー・シュエチャン(路學長)
Lu Xuechang
撮影 チャン・シーグイ(張●貴)
Zhang Xigui
編集 コン・ジンレイ(孔勁蕾)
Kong Jinlei

◆キャスト◆

ラオ   グォ・ヨウ(葛優)
Ge You
ユイラン ディン・ジャーリー(丁嘉麗)
Ding Jiali
リアン リー・ビン(李濱)
Li Bin
ヤン リー・キンキン(李勤勤)
Li Qinqin
シャオチャン シア・ユイ(夏雨)
Xia Yu

(配給:ザジフィルムズ)
 
 


 だが、捕まったカーラを何とかしようとするのはラオだけではない。自分が望んでリストラされたわけでもない妻にとっても、カーラは慰めになっている。リアンも一人っ子でなければ、自分より犬が可愛がられることがそれほど気になりはしなかっただろう。そんな不満を抱えるリアンの慰めになるのもやはりカーラだ。

 ラオがやめた麻雀とこのペットをめぐる家族の関係には、社会の変化を見ることができる。仲間たちが卓を囲み、それなりに価値観を共有する麻雀は、伝統的なコミュニティを象徴しているといってよいだろう。これに対して、ラオの一家の真中にはカーラがいるが、彼らは感情を共有できない。というよりも、感情を共有できないからこそ、それぞれにカーラに慰めを見出すのだ。

 そして、こうした社会の変化をとらえる視点とともに、もうひとつ見過ごすわけにはいかないのが、檻のイメージだ。この映画で檻に入れられるのは犬だけではない。夜中に派出所にカーラの様子を見に行ったリアンは、カーラを確認すると同時に、向かいの檻に女が閉じ込められているのに気づく。そして、後に喧嘩に巻き込まれた彼は、今度は自分がその檻に入れられることになる。一方、ラオもまた、ペットを売買する闇のマーケットをうろついているうちに、犬の売人と間違われ、護送車に押し込まれてしまう。

 この映画では、そんなイメージが積み重なっていくことによって、人間と動物の境界が曖昧になっていく。というよりも、人間が動物同然の存在になっていく。それが最も端的に現れているのが、警察が闇のマーケットを取り締まる場面だ。警官に気づいた売人たちは、再開発のために取り壊されかけた家屋に逃げ込み、息を潜める。警官たちは、手を叩いたり、足を踏み鳴らすことで、その売人たちを捕らえていく。物音で動物たちが反応し、居場所がわかってしまうからだ。それは、取締りにおけるひとつのテクニックだが、この場面には、明らかに警察が、人間と動物をまったく同じものとみなし、扱っているという含みがある。

 この映画は、ペットをめぐる騒動を描きながら、中国社会の変化や弱者といえる人々の在り方を実に巧みに浮き彫りにしているのだ。


(upload:2005/05/08)
 
《関連リンク》
路學長(ルー・シュエチャン)インタビュー ■

 
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