内田けんじ監督が自主製作した『WEEKEND BLUES』では、記憶を飛ばした会社員の“空白の一日”に起こったことが、時間軸の操作によって徐々に明らかにされていく。
そしてこの劇場用長編デビュー作『運命じゃない人』では、純情で内気な会社員の宮田が真紀に出会い、勇気を出して電話番号を効きだす間に、彼の周囲で実はとんでもないことが起こっていたことが、さらに巧妙な時間軸の操作によって明らかにされていく。
彼の映画はパズルのようだが、単なるパズルであれば最後のピースをはめたときに見えてくるのは、あくまで起こったことのすべてでしかない。彼の計算された構成は、予想もしない展開を生み出すだけではなく、ピースとピースの間から登場人物たちの感情を引き出し、内面を描き出していく。
たとえば、『WEEKEND BLUES』の会社員は、空白の一日の間に、実は自分とは関係ない他人の問題に巻き込まれている。しかし、勘違いや嘘から二転三転する展開のなかで、それが自分の問題に変わっていく。彼は、他人のなかにもしかするとそうなっていたかもしれない自分を見出し、自分と向き合っていくことになるのだ。
この『運命じゃない人』では、そんなふうに人物の内面が描き出されることに加えて、私たちに内面を想像させるような余白も生み出されている。それが端的に表われているのが、映画の最後の最後に挿入される真紀のエピソードだろう。
彼女は前の晩と同じように駅前に座っているが、その状況はまったく違う。前の晩は婚約指輪が3500円にしかならず、自暴自棄になりながらも、これからはひとりで生きていくのだと自分に言い聞かせていた。ラストの彼女は、ひとりで生きていくことを可能にするものを持っている(厳密には、そう思い込んでいる)。
だが、事はそれほど単純ではない。彼女の心は、ひと晩のなかで起こったことによって揺れ動いているはずだ。宮田がタクシーを追ってきたとき、彼女はさぞかし動転したことだろう。さらに電話番号を聞かれるという予想とは違う展開に頭が混乱したに違いない。駅前の彼女はそんなことを振り返りながら、自分が何を信じるのかを決める。
この映画は、起こったことのピースで埋め尽くされているように見えながら、そうした余白が随所にちりばめられているため、人物の内面を想像することによって、その世界がさらに膨らんでいくのだ。 |