『WEEKEND BLUES』は、『運命じゃない人』で大きな注目を浴びる新鋭・内田けんじ監督の魅力を再確認できる興味深い作品だ。
この2作品には、登場人物たちの関係を塗り替えていくような緻密な時間軸の操作や、真面目で正直ではあるがゆえに損をしている会社員を中心としたドラマなど、明確な共通点がある。
だが、内田監督は、同じアイデアを単にスケールアップしているわけではない。2作品の結末から浮かび上がるヴィジョンは、まったく異なるものだ。
『運命じゃない人』は、最初は会社員・宮田の世界を描く映画に見えるが、彼の周囲で本人が知らぬ間にとんでもない事が起こっていたことが次々と明らかになり、宮田の世界ではなく、世界の中の宮田を描く映画へと変貌する。
一方、『WEEKEND
BLUES』は、最初は会社員・山本の世界を描くように見えるが、本人が記憶を失っている間にとんでもない事が起こっていた事が次々と明らかになり、(ここからが大きく異なるのだが)日常生活の中では見えなかったもうひとりの山本の世界が描き出されることになる。
この日常の山本からもうひとりの山本が引き出されるプロセスは実にスリリングだ。彼の"空白の一日"に一体何が起こったのか。状況証拠は、彼がさっちゃんの居場所を調べ、会いにいったことを思わせる。しかし、甦った記憶の断片から、あゆみのトラブルに巻き込まれていたことがわかる。
それなら山本とは関係のないことになるわけだが、ドラマはさらに二転三転する。記憶喪失から勘違いと嘘が生まれ、あゆみのトラブルが彼自身の問題となり、さっちゃんの電話してしまうことにもなる。やがてその嘘がばれると、今度こそ彼に関係ないことになるはずだが、そこから別の繋がりが生まれ、ドラマは彼自身の問題として終わる。
内田監督の脚本にはまったく無駄がない。山本とあゆみがケンジの家を出てからしばらく話をする間に、ケンジとさっちゃんの話題をめぐって生まれる勘違いは、後に起こることの皮肉な伏線となる。山本とケンジがクスリをくれた男を探し出すことは、最初は無駄足に見えるが、見事に結末の伏線となってしまう。
その結末とは、単に意外なオチということではない。山本はクスリをたまたまビールで流し込んだが、そうでなければ、彼もサングラスの男になっていた。つまり、男はもうひとりの山本でもあり、彼はまさに自分と向き合っているのである。 |