■■一枚の古い写真からトロッコの意味が膨らんでいく■■
なぜ敦は弟を連れてトロッコに乗るのか。そのきっかけとなるのは、父親が生前に敦に手渡した一枚の古い写真だ。そこに写っているトロッコを押す少年は、戦前の祖父だったことがわかる。写真に触発された祖父は、兄弟に当時のことを日本語で語り出す。線路は切り出した木材を日本に運ぶためのもので、子供の頃の祖父は、それをたどれば日本に行けると思っていた。この祖父の言葉が、やがて別のエピソードと繋がる。ある晩、敦は、祖母と母親の会話を立ち聞きしてしまう。仕事と子育てを両立できずに弱音を吐く母親に、祖母は兄弟をしばらく預かることを提案する。
自分たちが置き去りにされると思った敦は、弟とトロッコで日本に帰ろうと心に決める。もちろん、それだけなら子供の単純な発想に過ぎない。しかし、敦が知らないところで、トロッコの意味は膨らんでいる。
ドラマのなかに叔父の孟堅が夕美子に、父親が日本に渡った理由を語る場面がある。祖父は、終戦で日本から捨てられた後も、時代に順応することを拒み、古い価値観を父親や叔父に押し付けた。だが父親は反発を覚えつつも、祖父の思いを受け止め、日本への留学を決めた。彼はトロッコの彼方にある日本に渡り、そこで家庭を築いたといってもよいだろう。そして今度は、祖父の写真に導かれた敦が、日本に向かうためにトロッコに乗ることになる。
■■様々なかたちで日本と台湾を結ぶ象徴的なトロッコ■■
この映画では、日本と台湾、日本人と台湾人、親と子の関係がすべてトロッコに集約され、トロッコに乗る少年の物語から独自の空間が切り開かれる。敦と凱は、村で出会った親切な青年に手伝ってもらい、トロッコに乗り込む。兄弟は風を切って走るトロッコに歓喜するが、目的を持っている敦と兄についてきただけの凱の興奮は決して同じものではない。
やがて敦が予想もしていなかった事実が明らかになる。青年が左手を指して、あっちの海の向こうが日本だと説明するのだ。それを聞いた敦は愕然とするが、今さら青年に目的を明らかにすることもできず、トロッコは深い森のなかを進んでいく。しかし、その先に意外な出会いが待ち受けている。青年の祖父が現れ、日本語で兄弟を歓迎する。それは敦が向かった日本ではなかったが、トロッコは確かにもうひとつの日本に繋がっていた。
もちろん、すでに恐怖に押しつぶされそうになっている敦には、そんなことを考える余裕はない。彼は弟を励ましながら、必死になって来た道を戻るしかない。だが、まだ心の整理がつかない8歳の少年にとって、これは間違いなく重要な記憶になる。芥川の「トロッコ」は、大人になった主人公の回想のかたちで物語が綴られる。この映画に回想の視点はないが、エンディングに漂う余韻がそれを想像させる。
映画の前半で敦は祖父に、自分が台湾人なのか日本人なのかという素朴な疑問をぶつける。祖父は、大人になって自分で決めることだと答える。敦はいつの日か自分がトロッコを通して父親や祖父と繋がっていたこと、そして台湾と日本の間に単純な線引きなどできないことを理解し、自分が何者なのかという疑問に答えを出すことになるだろう。 |