映画の題材になっているのは30年前(1972年)に起こったあまりにも有名な事件だが、このドラマには、歴史に縛られない現代的な視点の広がりがある。佐々淳行の原作には著者の回想を通して、「あさま山荘」に至る連合赤軍の軌跡が綴られているが、映画ではまったく語られることがない。しかも、山荘に立てこもった彼らの様子、山荘内部のドラマもいっさい描かれない。連合赤軍はほとんど姿なき存在である。つまり、この映画が描こうとするのは、連合赤軍と日本警察の攻防ではなく、警察内部の攻防なのだ。
主人公である佐々が遂行しようとするのは、警察の縦割り主義に対する「FBI式警備指揮官」の任務であり、原作で著者が「四半世紀早すぎた」と語るその任務は困難を極める。FBI式とはいえ、実質的な指揮命令権はあくまで長野県警察本部長にあり、警察庁長官からは武器使用などに関する足枷をはめられ、県警警備部は警視庁の応援部隊に反発し、指揮系統は激しく混乱する。
この映画では、阪本順治監督の『KT』と同じように、歴史的な事件の現場の状況が緻密に再現されていくと同時に、その困難な任務をめぐるドラマがダイナミックに膨らんでいく。台詞も聞き取れないほどの緊迫した対立や情報収集、陽動作戦、突入の段取りをめぐる悲喜劇が巧みに織り交ぜられ、警察内部の攻防が鮮やかに浮き彫りにされるのだ。
そんなスリリングなドラマは、同じ原田監督の『金融腐蝕列島 呪縛』のような同時代性をはらみ、現在の政治状況すら挑発するパワーと魅力を放ちだすのである。
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