ブルース・ベレスフォード監督の『小さな村の小さなダンサー』は、中国出身の名ダンサー、リー・ツンシンの自伝『毛沢東のバレエダンサー』(※『小さな村の小さなダンサー』のタイトルで文庫化されている)を映画化した作品だ。
1961年に中国の山東省の僻村に農民の子供として生を受けたリー・ツンシンは、少年時代に江青が主導する文化政策によってダンサーに選抜され、北京で英才教育を受ける。やがて中国が改革開放路線に舵を切ろうとする頃、彼はバレエ研修でアメリカを訪れる機会に恵まれる。そして、新天地で才能を開花させ、恋におち、亡命を決意していく。
この映画のスタッフは、どうしてリーの自伝を映画化しようと思ったのか。そもそもの動機は、彼の半生が劇的で感動的だからという平凡なものではなかったようだ。
プロダクション・ノートによれば、この映画化を最初に思い立ったのは、ニック・カサヴェテスの『きみに読む物語』の脚色なども手がけている脚本家のジャン・サーディだった。そこには彼のこんなコメントが引用されている。「自伝を読み始めて15ページか20ページほどで、この本には人をひきつける特別のものがあると感じた。そこで(製作者の)スコットに電話をしたんだ、“急いで、映画化権を買ってほしい”とね」
筆者もまったく同感だ。この自伝の導入部には読者を引き込む魅力がある。第一部は七章からなる「子供時代」で、ダンサーに選抜されたリーが北京に旅立つまでの出来事や体験が生き生きと描き出されている。
ところが映画では、ダンサー選抜のエピソードがわずかに描かれるだけで、第一部はほとんど切り捨てられている。それは、主人公を取り巻く世界を単純化することに繋がる。映画のリーは、「中国」と「アメリカ」という二つの世界のあいだで引き裂かれ、葛藤を強いられる。しかし、世界に対するリーの認識はそれほど単純ではない。
自伝の第一部が読者を引き込むのは、リーが少年の視点で当時の事柄を生き生きと描き出しているからだけではない。彼は波乱に満ちた人生を歩んだ人間として、その原点を振り返り、掘り下げてもいる。
世界は彼が生まれる前から変化し、少年は変化を目の当たりにしながら成長していく。リー一族は、日本軍が空港を建設するために移住を強制され、いまの場所で暮らすことになった。主人公が生まれる頃には、毛沢東の大躍進運動の結果として大飢饉が起こり、三千万人あまりの人々が餓死していた。
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