1981年、16歳の高校生タウ・ランは、同じ高校生の義姉シャオチンと両親とともに、北京の下町でつつましい生活を送っていた。両親はどちらも再婚で、タウ・ランは母親の、シャオチンは父親の連れ子だった。娘たちに対する両親の接し方には微妙な温度差があった。勉強熱心で優等生タイプの姉には甘く、元気だけが取り柄のようなタウ・ランには厳しいところがあった。ある日、タウ・ランはささいな諍いから衝動的に姉に襲いかかり、死に至らしめてしまう。それから17年後、模範囚となったタウ・ランは、翌年の出所を前に、旧正月の一時帰宅を許される。しかし両親の出迎えはなく、彼女は、故郷が近い女性教育主任に付き添われるように家路につく。
チャン・ユアンの「ただいま」に描かれるドラマは、いつ、どこででも起こりうることのように見える。しかしこのドラマには、現代の中国が至るところに反映されている。タウ・ランとシャオチンの悲劇は、文化大革命の時代(1966−1976)が終わり、過渡期を経て改革開放政策が本格化していこうとする時代に起こる。両親はこれまでイデオロギーに支えられて生きてきた世代だが、イデオロギーに頼れる時代は確実に終わろうとしている。それとともに集団の構成員ではなく、個人が自然と際立つようになる。母親は、自分の娘とはいえその出来の悪さに劣等感や不安、苛立ちを隠すことができない。それゆえタウ・ランには、家族の関係すべてが目に見えない抑圧となり、彼女を悲劇へと導いてしまう。
タウ・ランが服役する17年という時間は長いが、それが改革開放の時代とぴたりと重なっているとなれば、なおさらである。この映画には、刑務所の壁を境界として内と外の世界が同時に映しだされる場面があるが、内側ではほとんど時間が止まっているのに対して、外側では、市場経済の導入によってこれまでとは比較にならない速度で世界が変化しているのだ。チャン・ユアンはこの場面で、排気ガスなどで外の空気が実質的にも変わりつつあることを暗示しているように筆者には思えた。
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