恋愛映画に究極のかたちというものがあるとするなら、それは、すぐそばにいるように見えながら、実は遠く隔てられ、孤立している個人同士が、彼らにしか感知しえない世界を作り、現実を越えたところでひとつになることだと筆者は勝手に思っている。ベルナルド・ベルトルッチの『シャンドライの恋』は、まさにそういう映画だ。
キンスキーとシャンドライは同じ屋敷に暮らしているが、ふたりはそれぞれに世界から孤立したような生活を送り、彼らのあいだには文化、政治、身分などをめぐって大きな隔たりがある。しかもキンスキーは彼女に想いを寄せているにもかかわらず、彼女のことを何も知らない。彼らは日常生活のなかで、ほとんど言葉を交わすことがないからだ。
そして、この静かなドラマのなかで、ふたりの関係とその変化を浮き彫りにしているのが音楽なのだ。
彼は彼女を想ってクラシックの曲を弾きつづけるが、その調べは彼女の心をとらえない。彼が荷物用エレベーターを使って花や指輪を彼女に送りつけるのと同じで、それは自分の殻にこもった一方的な行為なのだ。これに対して彼女がラジカセで流すパパ・ウェンバやサリフ・ケイタといったアフリカのポップ・ミュージックは、彼女の自己主張であり、彼の一方的なメッセージに対する反発も暗示している。
ところが、キンスキーが彼女の事情を知り、ある決断をしてから、屋敷に流れる音楽は確実に変化していく。彼の部屋からクラシックではなく、コルトレーンのジャズが流れだし、彼女の方も、これまで掃除機の音と違いがないくらいに思っていたピアノの音色に耳を傾けるようになる。さらに、屋敷から家財が消えていくに従って、
彼は呪縛を解かれたように自由に音と向き合うようになる。彼が彼女のために作る曲からは躍動的なリズムと力強さが生まれ、彼女の心を揺さぶる。こうしてふたりの隔たりの象徴であった音楽は、彼らにしか感知しえない世界へと変貌し、音楽のなかに深い愛が見えてくるのである。
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