このメール・フレンドによれば、97年に『踊れトスカーナ!』が公開されたときの騒ぎはたいへんなものだったらしい。映画館を経営している彼の友人はこの映画を4ヶ月以上も上映して、1年分の儲けが出たと言って大喜びした。ある田舎町では周辺地域から観客が押し寄せ、町のなかにクルマを駐車する場所もなくなり、2館しかない映画館のもうひとつの劇場も上映スケジュールを変更せざるをえなくなった。
この映画はイタリア人の映画に対する姿勢を変えたという。年に3、4回しか映画を観なかった人々がもっと劇場に足を運ぶようになったというのだ。これはまさしく現象である。
それではこのピエラッチョーニ人気の秘密は一体どこにあるのだろうか。それについては地元イタリアの映画評論家ですら頭を抱えているらしい。ある人々は、彼の映画は、未婚で、両親と同居し、田舎の退屈な生活から逃れたいと思っている30代のイタリア人をリアルに描いていると評価する。
筆者のメール・フレンドはこんなふうに考える。イタリアというのは突き詰めれば田舎町の集まりであり、さらにイタリアは世界のなかで65歳以上の高齢者の比率が最も高く、出生率が最も低いという現実があり、そうした背景が退屈な日常を生み出す。それだけにたくさんの人々が、スペインから竜巻(Il Ciclone)のように現れたダンサーとの出会いで生活が一変する主人公のドラマに魅了される。
この意見はよくわかる気がする。筆者が注目したいのは、革命に燃える情熱家だった主人公の父親が、3人の子供たちにレバンテ(決起)、リーベロ(自由)、セルバジャ(野性)という勇ましい名前をつけているところだ。この3人は、その名前とは裏腹に退屈な日常に埋没しかけている。いや、もっと厳密に言えば、埋没しているのは会計士の主人公レバンテだけで、リーベロはユニークな画家として“自由”を、セルバジャはレズビアンとして“野性”を求めているにもかかわらず、それを表に出し切ることができないでいる。
そんなふうに見ると、この物語はなかなかひねりがきいていることがわかる。ナルドーネ舞踏団は書類の不備のために公演の許可が下りず、主人公のレバンテは、杓子定規な頭のお堅いお役人に腹を立てる。しかし実はレバンテ自身もまた会計士として杓子定規な生き方をし、自分の名前を裏切り、弟の自由や妹の野性を本当には理解していない。この映画では、そんなレバンテがスペインからやって来た竜巻に身をまかせ、名前の通りに“決起”することになる。
ピエラッチョーニは、冒頭で名前をあげたベニーニと同じトスカーナ地方の出身だが、このふたりは、訛りや地方色の出し方(面白いことに『ライフ・イズ・ビューティフル』にも主人公と頭のお堅いお役人との似たようなやりとりがある)、きわめて楽天的なユーモアのセンスや監督、脚本、主演を兼任するスタイルなど共通点が多い。
そのベニーニは新作でホロコーストという題材を取りあげるまで、アメリカなどではそのセンスがなかなか受け入れられなかった。ピエラッチョーニがイタリアで熱烈に支持されるのは、彼の映画が同じように地方に深く根差した独自の人間描写やユーモアに満ちているからに違いない。 |