森岡利行監督の作品では、成功や挫折は必ずしも重要ではない。何よりも大事なのは“好き”であることだ。
前作『子猫の涙』では、挫折を繰り返す伝説のボクサー・森岡栄治の存在は、娘の治子にとって「アホでスケベなエロ親父」でしかない。しかし、父親は本当にボクシングが好きだったのかという疑問に彼女が答えを見出すとき、それが変わる。
新作『女の子ものがたり』の原作は、西原理恵子の同名コミックだ。地方に暮らす幸福とはいいがたい三人の女の子たちの体験を描いたこのコミックのキーワードになっているのも、まさに“好き”であることだ。
たとえば、物語の語り手であるなっちゃんは、飼っていたインコが猫に食べられたり、学校で男の子にいじわるをされたりして、好きがどんどんなくなり、キライが増えていく。それでも、絵が上手に描ければ、好きがやってくるかもしれないと思う。
表面的な価値観に縛られている彼女は、みさちゃんときいちゃんと行動をともにしてはいるが、仲間から疎外されているふたりをキライだと思うこともある。だから三人は、すべてを好きになる親友といつか出会えることを夢見て、手紙を入れたビンを海に投じる。しかし、主人公は最後に、親友がずっとそばにいたことに気づく。
この映画ではそんな原作とは違い、三人の少女の体験や絆がそのままではなく、大人の主人公の回想というかたちで描かれる。では36歳の漫画家・菜都美は、なぜ少女時代を思い出すのか。最初はスランプに陥ったことがきっかけのように見える。しかし、終盤で彼女が故郷に帰ることによって、それまでのドラマの意味が変わる。
菜都美と新人編集者のやりとりが示唆するように、彼女が自分らしい作品を発表したのは10年以上も前のことで、その後は妥協を繰り返してきた。そんな彼女は、少女時代を思い出すある出来事がきっかけになって、このままでいいのかと思うようになる。
菜都美の回想からは、自分の好きを追い求める少女の姿が浮かび上がってくる。その好きには、絵を描くことと親友というふたつの意味がある。そして、最後にそれらがひとつになる。
いつか親友と出会えることを夢見た菜都美は、もはや親友と会うことができない。いつか出会える親友ともう会えない親友。彼女はそんな過去と現在を塗り替え、不在を存在に変えるために再び漫画家として歩み出す。森岡監督は、原作の世界を壊すことなく、そこに死を通した再生という独自のテーマを盛り込んでいる。
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