孤独の絆
No Way Home  No Way Home
(1996) on IMDb


1996年/アメリカ/カラー/101分/ヴィスタ/ドルビーSR
line
(初出:『孤独の絆』劇場用パンフレット、若干の加筆)

 

 

設定や物語ではなく、状況を通して
複雑な感情を浮き彫りにする独自のスタイル

 

 ひと口にアメリカのインディペンデント映画といっても、そこには様々なタイプの作品がある。バディ・ジョヴィナッツォ監督の『孤独の絆』は、ドラマから浮かび上がる社会と人間の繋がり、そして人間と人間の絆に対する鋭い洞察が、マーティン・スコセッシやジョン・セイルズの世界に通じるものを感じさせる。

 この映画は、登場人物たちの基本的な設定や物語の展開からすれば、たとえば現代版“カインとアベル”の物語といえるし、『スリング・ブレイド』や『この森で、天使はバスを降りた』といった作品のようないわゆる“アダルトチルドレン”の物語と見ることができる。

 しかしながらこの映画には、そんなふうに設定や物語では簡単にくくることができない魅力がある。それは監督のジョヴィナッツォが、設定や物語の流れといったことよりも、登場人物たちが置かれる具体的な状況というものに徹底的にこだわり、それを掘り下げていこうとするからだろう。物語よりもひとつひとつの状況から見えてくるものが、非常に多くのことを語りかけてくるのだ。

 そんなジョヴィナッツォ監督の姿勢は、ビデオ化されている彼の監督デビュー作『コンバットショック ベトナム帰還兵残酷物語』(DVDタイトル:死神ランボー 皆殺しの戦場)を見るとより明確になるはずだ。このデビュー作と2作目の『孤独の絆』にはなんと10年もの時間の隔たりがあるが、2本の映画にははっきりとした共通点がある。

 『コンバットショック』は、ベトナム戦争体験の後遺症に苦しむ主人公とその妻子をめぐる物語だ。主人公は過去の悪夢に囚われているだけでなく、枯葉剤の影響で不自由な身体で生まれてきた赤ん坊を抱えている。しかも彼は失業中の身で、一家が生活する場所すら奪われかけている。


◆スタッフ◆
 
監督/脚本   バディ・ジョヴィナッツォ
Buddy Giovinazzo
撮影 クラウディア・ラシュケ
Claudia Raschke
編集 スタン・ウォーナウ
Stan Warnow
音楽 リック・ジョヴィナッツォ
Rick Giovinazzo
 
◆キャスト◆
 
ジョーイ・ララビート   ティム・ロス
Tim Roth
トミー・ララビート ジェイムズ・ルッソ
James Russo
ロレイン・ララビート デボラ・カラ・アンガー
Deborah Kara Unger
デニース キャサリン・ケルナー
Catherine Kelner
ロニー ベルナデット・ペノッティ
Bernadette Penotti
ラフル・スコレロ ジョゼフ・ラグノ
Joseph Ragno
ジャック ジェリー・ディーン
Jerry Dean
-
(配給:K2エンタテインメント)
 

 この映画には、そんな窮地に立つ主人公が何とか金を工面しようと方々を渡り歩くという基本的な流れがあるにはあるが、監督はこの主人公が遭遇する状況を克明に描きだし、それぞれの状況に対する彼の反応が単純な物語とはいいがたい独自の世界を作りあげていく。たとえば主人公は、蛇口から漏れる水滴の音などの日常的な物音や路上でふと目にする光景に敏感に反応し、過去の悪夢がよみがえる。そして、現在の経済的な苦境と過去の悪夢の狭間で苦悩し、唯一の出口である悲惨な結末に向かっていくことになる。

 この映画を踏まえてみると、ジョヴィナッツォがこの『孤独の絆』で、ジョーイという存在を通して共通するテーマを追求しようとしていることがよくわかる。彼は2本の映画で、それぞれに深刻なトラウマを背負い、その後遺症に悩み孤立する主人公が、社会の底辺で個々の状況にどのように反応し、現実を受け入れていこうとするのかを見つめ、言葉では表現しがたい社会と人間の繋がり、人間同士の絆を浮き彫りにしようとする。

 但し、そうした状況の効果ということでいえば、『孤独の絆』は『コンバットショック』よりも遥かに研ぎ澄まされている。この映画では、登場人物たちの背景などについてほとんど触れられることなく、すべてが状況に委ねられ、状況によって語られていく。3人の男女は、それぞれに気持ちは揺れ動きながらも、最後までそれをはっきり言葉にしたり行動に出ることはない。

 それゆえに観客は、最後に兄弟の胸のうちに秘められた真実が明らかになったところから、自然にドラマを反芻することになる。出所したジョーイをトミーが出迎えたとき、それぞれの胸のうちにはどんな想いがあったのか。そこで彼らの表情やその場の微妙な空気がよみがえってくる。あるいは、窓拭きの仕事をするジョーイがデニースと再会したとき、言葉をかわしながら彼は何を思っていたのか。

 またこの映画では、登場人物たちをめぐって同時進行する異なる状況が交錯する場面が印象に残るが、そうした場面も反芻によって意味が膨らむ。ストリップ・バーで、ジョーイが喧嘩を余儀なくされているとき、トミーは成り行きで昔の女を抱いている。振り返ってみるとこの場面は、トミーの場合には胸のうちにある罪悪感からの逃避を、ジョーイの場合には彼が過去に対する決着をつけない限り、刑務所の内でも外でも同じような孤立を味わわなければならないことを暗示していたのがわかる。というように状況が、独自の世界を広げていく。

 ジョヴィナッツォ監督のこのようなスタイルは、彼が生まれ育った場所であり、この映画の舞台ともなっているスタテン島という土地とも無関係ではないだろう。社会の底辺で生きる人々にとっては、島という孤立した環境はどうにも出口を見出すことができない閉塞的な世界であり、周囲の状況に縛られて生きていかざるをえないように思えるからだ。


(upload:2013/01/31)
 
 
《関連リンク》
マーティン・スコセッシ 『タクシードライバー』 レビュー ■
ジョン・セイルズ 『希望の街』 レビュー ■
デヴィッド・リンチ 『イレイザーヘッド』 レビュー ■

 
amazon.co.jpへ●
 
ご意見はこちらへ master@crisscross.jp