阪本順治監督の『顔』のヒロインは、家族を捨てた父親に傷つき、人間関係を拒むように部屋にこもって生きる40過ぎの吉村正子だ。彼女は、急死した母親の葬儀の後で、彼女のことを激しくなじる妹にカッとなり、絞殺してしまう。そして香典袋を手にして家を飛び出し、偽名を使って逃亡劇を繰り広げる。
この映画を観ながらすぐに筆者の頭に思い浮かんできたのが、最近公開されたカルト映画『ハネムーン・キラーズ』(70年)だ。結婚詐欺を繰り返し、殺人にまで至るカップルを描くこの映画は、ヒロインが強烈な印象を残す。
彼女は肥満体で、性格もよくないのに、次第に愛すべき人物に見えてくる。恋人募集欄でカモになる女たちは自分を演出し、カップルの男の方もそういう女にカツラを贈られてから裏表が激しくなる。それに対して、常にありのままのヒロインは、善悪や美醜とは異なるレベルで純粋にそこに存在している。
人間として何らいいところがない『顔』のヒロインも、だんだんと愛すべき人物に見えてくる。しかも、酔漢に犯されたり、勤め先のスナックで客との関係を強要されたりするにもかかわらず、彼女は輝きを増していく。それは、単に彼女がありのままであるからではない。
彼女の変貌は、東洋的な世界観と結びついている。妹を殺害したとき彼女は自分も死のうとするが、生まれ変わるのが怖くて踏み切れない。ではそれまでの人生はとえば、同じ理由で生きているふりをしてきただけだった。
そんな彼女は怖いと言いつつ、逃亡生活に入ったそのときにすでにある意味で生まれ変わっている。この映画には、観覧車や盆踊りの輪が、輪廻を暗示するように挿入されている。彼女が輝いて見えるのは、妹の生をもらい受け、初めて自分として生き、死んでいた自分が失ったものを必死に取り戻そうとするからなのだ。 |