しかしもちろん、この映画の見所は、ニックとリディアの駆け引きだけではない。そこで思い出したいのがもう1本の映画、スパイク・リー監督の『インサイド・マン』(06)だ。この映画では、武装した4人組がマンハッタン信託銀行に押し入り、従業員と客を人質にとり、籠城をはじめる。通報を受けたニューヨーク市警は、銀行の周囲を厳重に包囲する。ところが、そんな状況で駆け引きを繰り広げるのは、犯人と警察の二者だけではない。
実はこの銀行の会長は、貸金庫のなかに誰にも知られたくない重大な秘密を隠している。そのため彼は、政治力を行使して犯人と直接、交渉しようとする。つまり、犯人と警察とこの会長の三者が駆け引きを繰り広げることになる。警察は会長の事情を知るよしもなく、犯人の狙いは現金だと考える。ところが犯人はジャンボジェットのような無理な要求を出すことで時間を稼ぎ、密かにある準備を進め、完全犯罪を成し遂げてしまう。
『崖っぷちの男』では、ニックとリディアが駆け引きを繰り広げている間に、ある計画が進行している。ルーズヴェルト・ホテルの向かいに建つビルの屋上には、ニックの弟のジョーイとその恋人アンジーが待機し、ビル内への侵入を開始する。そのビルの所有者はイングランダー。この実業家にも、知られてはならない秘密があった。『インサイド・マン』の会長の秘密と同じように、金庫に隠されたそれは、公には存在しないことになっているため、証拠もなくそれがあると主張してもらちがあかない。そこでニックは強引な手段で証拠を突きつけようとする。
映画の冒頭では、身動きもままならないホテルの壁面に立ってしまっては、なにもできないように思えた。ところが、物語が展開していくに従って、その場所が司令塔のようなものになっていく。ニックは、地上の警察の様子も視野に入れながら、ビルに侵入したジョーイに様々な指示を出す。野次馬の存在を利用することで、誰にも気づかれないように爆破を行い、さらには警察の動きを牽制してみせる。
と同時に、時間稼ぎも重要になる。ニックは偽名でチェックインし、すぐに自分の素性がわからないように、部屋に残る指紋をすべて拭き取ってから壁面に出た。しかし、最後まで素性を隠し通すつもりはない。リディアからもらったタバコで指紋が照合されることも、テレビに顔が映ることも織り込み済みだ。素性がわからなければ、リディアの協力は得られないし、敵が動き出すことで明らかになることもある。こうしてニックと警察、そしてイングランダーの三者が、スリリングな駆け引きを繰り広げていく。
この映画では、『交渉人』や『インサイド・マン』に通じる展開や図式が、ホテルの壁面が司令塔になっていくという、まったく違った状況のなかで実に巧に結びつけられている。ちなみに、プロダクション・ノートによれば、企画が誕生してから実際に映画化されるまでに10年かかったということなので、『インサイド・マン』が公開されるだいぶ前から企画そのものは存在していたことになる。
また、状況だけではなく、作品全体の印象にも違いがある。『交渉人』や『インサイド・マン』は、硬派なタッチを基調としていたが、この映画ではサスペンスにユーモアが加味されている。ビルに侵入したジョーイとアンジーのやりとりには、緊張ばかりではなく、時としておかしみが漂う。クールに見えて、さり気なくリディアを援護するドハーティ刑事もいい味を出している。そしてなんといっても、ホテルのボーイやクローク係になって、ニックに差し入れをしたり、ジョーイから荷物を受け取ったりする謎の人物の存在が目を引く。ラストで明らかになる彼の正体には、誰もがニンマリさせられることだろう。そんなユーモアの効果もあり、最終的には痛快な印象を残す作品にまとめ上げられている。 |