一枚のハガキ
Postcard  Ichimai no hagaki
(2010) on IMDb


2011年/日本/カラー/114分
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(初出:『一枚のハガキ』劇場用パンフレット)

 

 

『一枚のハガキ』に響く自然の声
――自然の声が届くとき、戦争の傷が癒されていく

 

 新藤兼人監督が自ら「最後の映画」と宣言して作り上げた『一枚のハガキ』では、タイトルになっている「一枚のハガキ」が主人公の男女の人生を変えていく。上官が引いたクジで仲間たちが命を落とし、自分が生き残ったことに対する罪悪感を背負う松山啓太と、出征した夫やともに生きる家族を次々と亡くし、厳しい生活を強いられる森川友子。友子の夫・定造が啓太に託したハガキは、啓太と友子を繋ぐ一本の細い糸といえる。

 たとえば、もし啓太の妻・美江が夫を待っていたとしたらハガキはどうなっただろう。啓太はすぐにそれを思い出し、友子に届けたかもしれないが、お互いに胸の内を吐露するようなことにはならなかったはずだ。美江が啓太の父親とできてしまったことは悲劇以外のなにものでもないが、だからこそハガキは主人公を導く運命の糸になる。

 しかし、啓太と友子を繋ぎ、彼らに救いをもたらすものは、ハガキだけではない。この映画は、新藤監督の実体験をもとに、戦争の悲惨さや不条理が描き出される。だから私たちは、登場人物と彼らが繰り広げるドラマを見つめるが、この映画ではもう一方で、そんなドラマとは異なる世界が意識され、もうひとつの流れを形作っているように思える。

 映画は天理教本部の場面から始まる。徴集された中年兵たちが講堂に整列し、上官が彼らの次の任務について説明をする。この場面ではドラマだけではなく、外で鳴いている鳥の声が印象に残る。それにつづくのは夜の宿舎の場面だ。そこで啓太は定造からハガキを託される。この場面でも、外で鳴く虫の声がずっと響いている。

 もちろんそれだけなら特別なことではない。だが、定造の出征と無言の帰還をとらえた場面を見れば、鳥の声が意識されていることがわかるだろう。このふたつの場面は、カメラがまったく同じ位置に据えられているので、その違いが鮮明になる。それは、太鼓や歌で送られる出征のけたたましさと、無言の帰還の沈鬱な空気の違いではない。出征の場面では太鼓や歌で鳥の声がかき消されるのに対して、帰還の場面でははっきりと聞こえるのだ。

 この場面を見ると、冒頭から鳥や虫の声がなぜ印象に残るのかがよくわかる。講堂の場面では、上官が「貴様らの武運長久を祈る」と声を上げたあとで、単に場が静けさに包まれるだけではなく、鳥の声が大きくなったように感じる。夜の宿舎の場面では、話をする啓太と定造が「うるさいぞ」と注意されることで、静けさのなかに虫の声が際立つ。


◆スタッフ◆
 
監督/脚本/原作   新藤兼人
撮影 林雅彦
編集 渡辺行夫
音楽 林光
 
◆キャスト◆
 
松山啓太   豊川悦司
森川友子 大竹しのぶ
森川定造 六平直政
森川勇吉 柄本明
森川チヨ 倍賞美津子
泉屋吉五郎 大杉漣
松山啓太の伯父・利ヱ門 津川雅彦
松山美江 川上麻衣子
利ヱ門の女房 絵沢萠子
森川三平 大地泰仁
下士官 渡辺大
和尚 麿赤兒
-
(配給:東京テアトル)
 

 つまりこの映画では、ほとんどの場面で、鳥や蛙や蝉などの生き物の鳴き声、あるいは波や風といった自然の音が響いている。自然の営みは平時でも戦時でも変わらない。主人公たちの周りにはそんな自然がある。しかし、戦争に翻弄された彼らは、自然から切り離されてしまっているのだ。

 アメリカの異才テレンス・マリックは、『シン・レッド・ライン』のように戦争を題材にした作品を撮っても、人間のドラマを描くだけではなく、すべてが自然のなかで起こっていることを決して忘れない。新藤監督もその長いキャリアのなかで、自然と人間を見つめる独自の感性を培ってきた。実際この映画には、彼の過去の作品を想起させるような要素が埋め込まれている。

 たとえば、友子の義父が発作を起こして亡くなる場面だ。そこでは、音響だけで表現される生き物の存在を集約するかのように、茅葺屋根にとまった鴉が映し出される。この鴉の姿を見ながら筆者は、『ふくろう』(03)のことを思い出した。この映画では、ふくろうという他者の存在を通して、荒廃した開拓村でサバイバルを繰り広げる母と娘の姿が描き出される。新藤監督は、そのふくろうについて以下のように語っている。

この映画に出てくるふくろうは外にいる。でも屋根の隣の森の木にいて、ふくろうが全部見ている。ふくろうという客観の目で、ずっとこれを見ていくというようにやろうと思ったわけです。要するにこのドラマを見て判断を下すものが、人間ではなくて鳥だった、ということです

 しかし、『一枚のハガキ』と過去の作品の接点として最も印象に残るのは、やはり水汲みのエピソードだろう。友子の家には水道がない。だから彼女は川まで降りていって、桶に水を汲み、天秤棒に下げて坂を登り、家まで運んでこなければならない。その姿は新藤監督の代表作『裸の島』(60)を思い出させる。この映画に登場する夫婦は、小島で農業を営んでいるが、そこには水もなく、土地も乾いている。だから毎日、早朝から小舟で大きな島に行き、水を汲んで島に戻り、天秤棒を担いで斜面を登り、畑に水をやる。

 この『裸の島』との繋がりは、『一枚のハガキ』の世界をより印象深いものにする。『裸の島』を撮るとき、新藤監督が拠点としていた独立プロ「近代映画協会」は借金がかさみ、解散寸前だった。そこでどうせなら映画の原点に立ち返り、自由な発想で映画作りを楽しもうとして作ったのがこの映画だった。結局、『裸の島』は大きな成功を収め、プロダクションも生き延びることになったが、新藤監督の最後の映画にもそんな姿勢が刻み込まれている。

 さらに、映画のテーマも継承されている。『裸の島』の夫婦は、どんなに辛いことがあっても、水を汲み、乾いた土地に注ぎ、生きていこうとする。一方、一枚のハガキに導かれて出会った啓太と友子は、それぞれに重い過去を背負い、自然から遠ざけられている。だからブラジルに旅立とうとする。しかし、家やハガキが灰になったときにそこに自然を見出し、土地を耕し、麦畑を切り拓いていく。

 新藤監督が描き出すのは戦争の本質だけではない。映画の最初から響いていた自然の声が最後に主人公たちに届き、人間と自然がひとつになるところに、深い感動があるのだ。

《参照/引用文献》
『ふくろう 90歳の挑戦』新藤兼人●
(岩波アクティブ新書、2003年)
『作劇術』新藤兼人●
(岩波書店、2006年)

(upload:2012/03/02)
 
 
《関連リンク》
生と死ではなく個と無という観点から戦争に迫る
――『シン・レッド・ライン』と『U・ボート DC』をめぐって
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