ブランカニエベス
Blancanieves


2012年/スペイン=フランス/モノクロ/104分/ヴィスタ/DCP
line
(初出:『ブランカニエベス』劇場用パンフレット)

 

 

映像と音楽と題材が三位一体となった貴種流離譚

 

 モノクロ&サイレントで撮られたパブロ・ベルヘル監督の『ブランカニエベス』は、闘牛の場面から始まる。それを観ながら思い出したことがある。だいぶ前にスペイン文化について調べ物をしたときに、印象に残ったことのひとつが闘牛における音楽や音の役割だった。それは、ギャリー・マーヴィンの『闘牛 スペイン文化の華』のなかで説明されていた。

 たとえば、闘牛を仕切る座長の合図で、楽隊がパソドブレ(闘牛と伝統的に結びついた二拍子のマーチ風舞曲)の演奏を始め、最初の牛が放されるまで続けられるというのは、容易に想像できる音楽の使い方である。しかし、音楽の役割はそれだけではない。座長の合図は、色のついたハンカチで視覚的に表現され、それと同時に、トランペットでも通訳される。さらに以下のような役割も担う。

音楽はまた、アンビエンテ(雰囲気)を作りだし、アリーナの演技に触発された感情をさらに強める働きをする。音楽だけである程度この気分を作りだすことがある。マタドールは音楽に身を委ねることがあるからである」「アリーナの演技が音楽が演奏されるに値すると思うのに楽隊が何もしないと、観客はすぐに文句をつける

 そんな視覚と音楽を媒介にしたコミュニケーションはサイレント映画にも通じる。と書けばもうなにが言いたいかおわかりいただけるだろう。サイレント映画では音楽が重要な位置を占めているが、この『ブランカニエベス』の場合は、単に場面に合った音楽が流れるだけではなく、題材そのものがすでに音楽と密接な関わりを持っている。だから、題材の持つ音楽性が加味されることによって、その効果が増幅される。

 但し、ここで題材というのは、闘牛のことだけを意味しているのではない。出産と同時に命を落とすカルメンの母親は、フラメンコ・ダンサーであり、カルメンは闘牛士とダンサーの血を引き継いでいる。だから祖母と暮らす彼女は、まずダンスを身につけていく。そして、亡妻を忘れられない父アントニオが、娘の聖餐式に贈るのも蓄音機と思い出のレコードだ。そんなドラマでは当然、フラメンコ・ギターや歌が際立つことになる。

 この闘牛とフラメンコというスペインを代表する伝統文化には深い結びつきがある。ドン・E・ポーレンの『フラメンコの芸術』では、それが以下のように説明されている。


◆スタッフ◆
 
監督/原案/脚本   パブロ・ベルヘル
Pablo Berger
撮影 キコ・デ・ラ・リカ
Kiko de la Rica
編集 フェルナンド・フランコ
Fernando Franco
音楽 アルフォンソ・デ・ヴィラロンガ
Alfonso de Vilallonga
 
◆キャスト◆
 
エンカルナ(継母)   マリベル・ベルドゥ
Maribel Verdu
アントニオ・ビヤルタ(父親) ダニエル・ヒメネス・カチョ
Daniel Gimenez Cacho
ドン・コンチャ(祖母) アンヘラ・モリーナ
Angela Molina
カルメン(白雪姫) マカレナ・ガルシア
Macarena Garcia
カルメンシータ(白雪姫、子供時代) ソフィア・オリア
Sofia Oria
カルメン・デ・トリアーナ(母親) インマ・クエスタ
Inma Cuesta
ドン・カルロス(興行主) ホセ・マリア・ポー
Jose Maria Pou
-
(配給:エスパース・サロウ)
 

フラメンコと闘牛のスペクタクル(Fiesta)は深く関わりあっている。この繋がりは否定できず、どちらを理解する上にも欠かせない。どちらも基本的に共通の庶民社会から生じたものであり、同じ情緒や熱情の心髄を掻き立てる。どちらも、奔放な資質の閃きはジプシーに、不屈の堅実さと責任感はアンダルシア人に、それぞれ恩恵を受けている。それにもうひとつの共通した重要な要素、それはこの二つが下層の人間にとって、社会的にも経済的にもその属する階級から抜け出せる可能性がもっとも強い生き方だということである

 なかでも筆者が注目したいのが最後に挙げられている要素だ。この映画では、「白雪姫」を盛り込むことで、“生き方”としての闘牛やフラメンコが鮮明になるような物語が紡ぎ出されている。それぞれにエンカーナに虐げられているアントニオとカルメンシータは、フラメンコと闘牛を通して血と絆に目覚めていく。エンカーナに命を奪われかけ、記憶を失ったカルメンは、小人の闘牛士団に救われ、その一員となって旅に出る。そして巡業のなかで頭角を現した彼女は、やがて大観衆に埋め尽くされたアリーナに立つ。

 そんな「白雪姫」の効果は、物語だけに表れているわけではない。音楽も「白雪姫」を取り込んだ部分では、異なるアプローチが見られる。たとえば、エンカーナが登場する場面で頻繁に流れるゆらゆらした感じの音だ。よく幽霊が出る場面などに使われるこの音は、電子楽器のテルミンか、あるいは西洋鋸を使ったミュージカル・ソーで作っていると思われるが、彼女のキャラクターと結びついて、独特の雰囲気を醸し出している。

 一方、白雪姫と小人たちのドラマでは、バンジョーやブラス、アコーディオンなどを巧みに使い分け、非スペイン的なテイストを盛り込み、彼らがある種の異邦人(もしかするとジプシーを意識しているのかもしれない)であることを暗示している。ちなみに、ベルヘル監督は、トッド・ブラウニング監督の『フリークス』にもインスパイアされたと語っているが、小人たちがエンカーナを追い詰めるあたりにそれがよく出ている。

 この映画は、「白雪姫」や『フリークス』という異質なものをアクセントにすることで、スペインを実に鮮やかに描き出す。そして、闘牛とフラメンコを体現するカルメンを伝統文化の象徴とするなら、彼女が流す涙はそれが時代の流れのなかで失われつつあることを暗示しているのかもしれない。

《参照/引用文献》
『闘牛 スペイン文化の華』 ギャリー・マーヴィン●
村上孝之訳(平凡社、1990年)
『フラメンコの芸術』ドン・E・ポーレン●
青木和美訳(ブッキング、2009年)

(upload:2014/08/16)
 
 
《関連リンク》
ミシェル・アザナヴィシウス 『アーティスト』 レビュー ■
アキ・カウリスマキ 『白い花びら』 レビュー ■

 
 
amazon.comへ●
 
ご意見はこちらへ master@crisscross.jp