モノクロ&サイレントで撮られたパブロ・ベルヘル監督の『ブランカニエベス』は、闘牛の場面から始まる。それを観ながら思い出したことがある。だいぶ前にスペイン文化について調べ物をしたときに、印象に残ったことのひとつが闘牛における音楽や音の役割だった。それは、ギャリー・マーヴィンの『闘牛 スペイン文化の華』のなかで説明されていた。
たとえば、闘牛を仕切る座長の合図で、楽隊がパソドブレ(闘牛と伝統的に結びついた二拍子のマーチ風舞曲)の演奏を始め、最初の牛が放されるまで続けられるというのは、容易に想像できる音楽の使い方である。しかし、音楽の役割はそれだけではない。座長の合図は、色のついたハンカチで視覚的に表現され、それと同時に、トランペットでも通訳される。さらに以下のような役割も担う。
「音楽はまた、アンビエンテ(雰囲気)を作りだし、アリーナの演技に触発された感情をさらに強める働きをする。音楽だけである程度この気分を作りだすことがある。マタドールは音楽に身を委ねることがあるからである」「アリーナの演技が音楽が演奏されるに値すると思うのに楽隊が何もしないと、観客はすぐに文句をつける」
そんな視覚と音楽を媒介にしたコミュニケーションはサイレント映画にも通じる。と書けばもうなにが言いたいかおわかりいただけるだろう。サイレント映画では音楽が重要な位置を占めているが、この『ブランカニエベス』の場合は、単に場面に合った音楽が流れるだけではなく、題材そのものがすでに音楽と密接な関わりを持っている。だから、題材の持つ音楽性が加味されることによって、その効果が増幅される。
但し、ここで題材というのは、闘牛のことだけを意味しているのではない。出産と同時に命を落とすカルメンの母親は、フラメンコ・ダンサーであり、カルメンは闘牛士とダンサーの血を引き継いでいる。だから祖母と暮らす彼女は、まずダンスを身につけていく。そして、亡妻を忘れられない父アントニオが、娘の聖餐式に贈るのも蓄音機と思い出のレコードだ。そんなドラマでは当然、フラメンコ・ギターや歌が際立つことになる。
この闘牛とフラメンコというスペインを代表する伝統文化には深い結びつきがある。ドン・E・ポーレンの『フラメンコの芸術』では、それが以下のように説明されている。 |