瀬々敬久監督の新作『ヘブンズ ストーリー』は、9章の物語で構成された4時間38分の大作だ。家族を殺された幼い娘、妻子を殺された若い夫、正当防衛で強盗を殺害した過去を持ち、復讐代行を副業にしている警官、理由なき殺人を犯した青年、記憶を失っていく人形作家など、20人以上の登場人物が復讐と贖罪、あるいは喪失と生存と誕生をめぐって絡み合い、最終的に荘厳というより幽玄というべきヴィジョンを切り拓いていく。
この映画で最初に私たちの目に焼きつくのは、タイトルと結びつく光景だろう。少女の記憶のなかで、家族は丘の上に整然と並ぶ高層住宅群を見上げ、彼女の親はそれを楽園のようだと表現する。それから、東北の山中にあって、生と死のドラマの舞台となる鉱山跡の廃墟。その無人の住宅群はかつて“雲上の楽園”と呼ばれていた。人々は、近代化、西洋化、郊外化のなかで、空へと伸びる人工の楽園を夢見、消費してきた。
そんな世界から見離された登場人物たちは、それぞれに苦しみもがきながら、人工の楽園とは異質なものに触れていく。それは、桜の花や蝉の抜け殻や落ち葉や夜空に舞う雪だ。この映画はその始まりから、一方で山や海という自然が意識されている。怪物が棲みつき人間を襲うという冒頭で語られる物語の背景には山がある。第1章の冒頭で海に突き落とされる少女は自然に対して忘れがたい恐怖を覚えたかもしれない。
怪物とは何か。少女にとっては、恐怖を覚える得体の知れない力も、家族の命を奪った殺人者も怪物であり、同じ悲劇を体験した男に復讐を迫る彼女自身のなかにも怪物がいる。彼女が成長することは、怪物とは何かを見極めることでもある。彼女の長く苦しい旅のなかで人間と自然、生者と死者の距離は消失していく。海に隔てられた団地につづく船着場は、海の彼方の常世からマレビトが訪れる場所となり、山は怪物の棲家ではなく死者が赴く場所となる。
瀬々監督はそんなことを意識していたわけではなく、21世紀の10年を喪の時間ととらえることが、日本的な他界観に通じるものを自然に招き寄せたのだろう。そして喪が明けるとき、そこには人工の楽園とは違うもうひとつの世界が見えてくる。
文:大場正明 |