[ストーリー] 緑豊かなヴァージニア州の田舎町で育ったデズモンド・ドスは、第2次世界大戦が激化する中、陸軍への志願を決める。先の大戦で心に深い傷を負った父からは反対され、恋人のドロシーは別れを悲しむが、デズモンドの決意は固かった。
だが、訓練初日から、デズモンドのある“主張”が部隊を揺るがす。衛生兵として人を救いたいと願うデズモンドは、「生涯、武器には触らない」と固く心に誓っていたのだ。上官と仲間の兵士たちから責められても、デズモンドは頑として銃をとらない。
とうとう軍法会議にかけられるが、思いがけない助けを得て、主張を認められたデズモンドは激戦地の〈ハクソー・リッジ〉へ赴く。そこは、アメリカ軍が史上最大の苦戦を強いられている戦場だった。1歩、足を踏み入れるなり、目の前で次々と兵士が倒れて行く中、遂にデズモンドの〈命を救う戦い〉が始まる――。[プレスより引用]
[以下、本作のレビューになります]
メル・ギブソンが監督した『ハクソー・リッジ』の物語は、第2次大戦の激戦地・沖縄の前田高地で、戦闘を行うことなく大きな功績を残したデズモンド・ドスの実話に基づいている。彼は何ひとつ武器を持たず、衛生兵として銃弾が飛び交う戦場を駆け回り、ひとりで75人もの命を救った。子供時代のある出来事をきっかけに、「汝、殺すことなかれ」という教えを胸に深く刻み込んできたデズモンドは、「衛生兵であれば自分も国に尽くすことができる」と思い、陸軍に志願するが、その先には茨の道が待ち受けている。
この映画には、大きく分けて3つの見所がある。ひとつは、基地での訓練期間における試練だ。銃に触れることを拒否するデズモンドは、執拗な嫌がらせを受け、ついには軍法会議という窮地に立たされる。そこからは激しい葛藤が浮かび上がる。ふたつ目は、もちろん戦場における彼の活動である。戦闘シーンは、『プライベート・ライアン』の導入部を彷彿させる。デズモンドはそんな修羅場のなかで、啓示を受けたかのようになにも恐れず、負傷した兵士たちを救いつづける。
これに対して、3つ目の見所は、ささやかなエピソードのように見える。戦場を駆け回るデズモンドが、視界を奪われて動転している兵士を見つけ、彼の顔を覆う泥や血を水で洗い流してやる。失明したと思っていた兵士は、目を開き、安堵の表情を見せる。それは、75人の命を救うことに比べれば地味な出来事なので、印象に残らない人もいるかもしれない。だが、監督のギブソンは明らかにそれを強く意識している。なぜなら、エンドロールに挿入される記録映像でもこのエピソードのことが語られるからだ。
では、なぜギブソンはこのエピソードにこだわるのか。そこにはふたつの意味があるように思える。デズモンドの信念の源に信仰があること、さらにギブソンのカトリック信仰を踏まえるなら、聖書に出てくる盲人の開眼の奇蹟に重ねられていると察することができる。だが筆者には、信仰とは関係のない象徴的な意味も込められているように思える。つまりこれは、デズモンドの偉業を称え、深い信仰心を表現するだけでなく、戦争というものに対してひとりひとりが目を見開くための映画でもあるということだ。 |