バーニー みんなが愛した殺人者
Bernie


2011年/アメリカ/カラー/99分/ヴィスタ/ドルビーデジタル
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(初出:未発表)

 

 

全米第一の州を目指すテキサス州とは違う、
ゴシップに潜むもうひとつのリアルなテキサス

 

 リチャード・リンクレイター監督の『バーニー みんなが愛した殺人者』は、1996年にテキサス州の田舎町で実際に起こった殺人事件に基づいている。脚本を手がけているのは、「テキサス・マンスリー」誌のライターで、98年に事件の記事を同誌に書いたスキップ・ホランズワースだが、事件の真相に迫るジャーナリスティックな作品というわけではない。しかし、笑えるからといって、単なるコメディになっているわけでもない。

 テキサス州東部にある田舎町カーセージの葬儀社で働くバーニーは、住民の誰からも愛される町一番の人気者だ。仕事を完璧にこなすだけでなく、町の美化運動を推進したり、短大の演劇部で音楽監督を務めるなど、市民活動でも貢献している。そんな彼は、石油で莫大な財を築いたドゥエイン・ニュージェントの葬儀で未亡人のマージョリーに出会う。

 高慢でわがままな彼女は町一番の嫌われ者だ。バーニーはそんな彼女に親身になって接し、彼女の方も彼だけには心を開くようになる。やがて彼は葬儀社を辞め、マージョリー専属のマネージャーになり、資産の管理をまかされる。だが、マージョリーの支配欲は日に日に激しさを増し、精神的に追い詰められた彼は、ある日、衝動的に彼女を射殺してしまう。

 この事件がユニークなのはそこからだ。マージョリーがこもっているように見せかけたバーニーは、自由に金が使えるようになり、これまで以上に住民に奉仕する。やがて冷蔵庫に隠した死体が発見され、彼は地方検事ダニーによって第一級殺人で起訴される。だが、町の住人は誰もがバーニーを擁護し、殺人者である彼の無罪判決を求める。

 この映画を観ながら筆者が最初に想起したのは、デヴィッド・バーンが監督した『トゥルー・ストーリーズ』のことだった。二本の映画には共通点がある。

 まず、どちらもテキサス州を舞台にしている。しかも、『トゥルー・ストーリーズ』では、デヴィッド・バーン扮するテンガロンハットをかぶった案内人が、『バーニー』では、テキサス出身のマシュー・マコノヒー扮するテンガロンハットをかぶった地方検事が、狂言回しの役割を果たしている。

 二本の映画から浮かび上がるのは、異なるテキサスだが、それを確認するために、池田純一の『ウェブ文明論』の以下のような記述を頭に入れておいてもよいだろう。

テキサスというとテンガロンハットにブーツといういでたちが連想されるため、西部劇のような世界が想像されがちだ。(中略)しかし、往々にして実態は異なるもので、テキサスもその一つだ。今日では、航空宇宙、医療、エネルギーの分野を中心に大手ハイテク企業群を擁する全米でも有数の経済州である。人口や経済力等の成長性から見ると、遠からずカリフォルニアを抜き、全米第一の州にならんとする、非常に勢いのある州だ。そして、Red States(共和党多数派州)の中核として連邦政治にも多大な影響を与えている


◆スタッフ◆
 
監督/脚本/製作   リチャード・リンクレイター
Richard Linklater
脚本 スキップ・ホランズワース
Skip Hollandsworth
撮影 ディック・ポープ
Dick Pope
編集 サンドラ・エイデアー
Sandra Adair
音楽 グレアム・レイノルズ
Graham Reynolds
 
◆キャスト◆
 
バーニー・ティーディ   ジャック・ブラック
Jack Black
マージョリー・ニュージェント シャーリー・マクレーン
Shirley Maclaine
ダニー・バック マシュー・マコノヒー
Matthew McConaughey
スクラッピー・ホームズ ブレイディ・コールマン
Brady Coleman
ロイド・ホーンバックル リチャード・ロビショー
Richard Robichaux
ドン・レゲット リック・ダイアル
Rick Dial
ハッカビー保安官 ブランドン・スミス
Brandon Smith
ウッドアード牧師 ラリー・ジャック・ドットソン
Larry Jack Dotson
-
(配給:トランスフォーマー)
 

 そして、もうひとつの共通点といえるのが、“タブロイド”や“ゴシップ”と呼ばれるものへの目配せだ。

 バーンがタブロイド新聞から拾い集めたおかしな実話をもとにした『トゥルー・ストーリーズ』には、ベッドから出ることなくテレビ漬けの日々を送る女や実は自分がエルヴィスの曲を書いたと吹聴する女、 子供たちを通してしか対話しない夫婦などが登場する。だからドラマはシュールに見える。

 しかし、そうしたドラマとハイテク産業や巨大なショッピングモール、教会といった環境が結びついていくとき、アメリカのフロンティア、“エッジ・シティ”と呼ばれる新しい都市形態の日常がリアルに浮かび上がってくる(エッジ・シティについては関連リンク参照のこと)。

 一方、『バーニー』では、事件がドラマ化されているだけではない。実際のバーニーとマージョリーを知る住民たちにインタビューした映像がたっぷりと盛り込まれている。そんなドラマとインタビューの組み合わせはシュールに見える。ちなみに、リンクレイターは、このアプローチについてプレスで以下のように語っている。

この作品は、物語の大部分が町の人々の説明によって語られ、彼らの事件に対する認識や、バーニーとマージョリーへの感情に基づいて形作られています。つまり町の人々が映画の語り部なのです。ゴシップ的な視点で語られる映画など、これまで観たことがありませんが、今回の場合はそれがこの町と住人たちの全てを明らかにする上で、ふさわしいテクニックだと思いました。それに、住民たちのなんとユニークなこと!テキサス東部の町民が、ディープな南部独特のゆっくりした話し方で語るなんて、他にはない物語の伝え方です

 リンクレイターが関心を持っているのは、必ずしも事件やその真相ではなく地域性だ。この映画の前半部で、登場人物のひとりがこのようなことを語る。テキサス州は地域ごとにまったく趣きが異なり、五つの州と言ってもいい。西部は広大な平地で大牧場が多い。北部じゃダラスの気取り屋がベンツを乗り回してる。ヒューストン辺りは“発ガン性海岸”。サンアントニオの南部はテキサス流メキシコがある。中部にあるのは“オースティン人民共和国”で、スネ毛の女とリベラルな連中の街さ。

 だが、この映画が醸し出す地域性に引き込まれると、そうした分類すら表層的なものに思えてくる。おそらくテレビ番組のように、ただカーセージという田舎町を紹介しようとするだけでは、そんな空気を引き出すことはできない。事件をめぐるゴシップ的な語りのなかにこそ、独特でリアルな地域性が潜んでいるのだ。

 もちろん、リンクレイターがテキサス出身で、テキサスという世界にこだわりを持っていなければ、独特の地域性を感知することはできなかっただろう。それは、バーンが炙り出した新しいフロンティアとは対照的なもうひとつのテキサスだといえる。

《引用文献》
『ウェブ文明論』池田純一●
(新潮選書、2013年)

(upload:2013/09/16)
 
《関連リンク》
サバーブスからエッジ・シティへ――続・変わりゆくアメリカの風景 ■
デヴィッド・バーン 『トゥルー・ストーリーズ』 レビュー ■
池田純一 『ウェブ文明論』 レビュー ■

 
 
 
 
 
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