エリック・ヴァリ監督の『キャラバン』では、ヤクを引き連れ、険しいヒマラヤ山脈を越えて塩を運ぶキャラバンの姿が、雄大で過酷な自然のなかに描き出された。背景となる土地はまったく異なるが、松下俊文監督の長編劇映画デビュー作『パチャママの贈りもの』でも、塩のキャラバンが描かれる。
映画の舞台は、南米ボリビアのアンデス高地・ウユニ塩湖。主人公である13歳の少年コンドリは、塩を採掘して生活しているケチュアの家族の一員だ。学校に通い、友だちと遊び、父親の採掘の仕事を手伝う日々を送っていた彼は、その年、初めて父親とともに、リャマの背に塩の塊を積み、キャラバンの旅に出る。
塩の大地がどこまでも広がる光景は圧巻だ。キヌアを黒米や押麦とともに白米に混ぜて食べている筆者は、キヌアの畑の美しさにも魅了された。キャラバンの旅を通して見えてくるアンデス高地の雄大な自然や人々の生活も印象に残る。
そんな風景のなかで展開するこのドラマは、少年の成長を描いているのか、それとも通過儀礼を描こうとしたのだろうか。そのことが少し気になった。成長も通過儀礼も同じようなものだが、やはり違いがある。成長を描くのであれば、おそらく観客への間口は広くなる。通過儀礼を明確に意識するなら、文化や土地により踏み込む必要があるだろう。松下監督が、あくまで少年の視点に立って描いたとするなら、その境界が曖昧になることもあり得るが…。
なぜそこにこだわるかというと、ふたつ理由がある。まず、ニューヨーク在住の松下監督は、9・11を目の当たりにしたことがきっかけで、“ゼロ地点”へ戻ろうと考え、ボリビアに向かいこの題材を見出したという。彼は、先住民であるケチュアの人々と生活をともにし、6年の歳月をかけてこの作品を作り上げた。
もうひとつは、彼のドキュメンタリー作家としての関心だ。プレスのフィルモグラフィは、以下のように記されている。「Big Chief」(20分/92年)、「Cuba Amor」(35分/95年)、「Voodoo Kingdom」(45分/98年/土着信仰/ベニン共和国)。これは単なる想像に過ぎないが、筆者には、彼が土地に根ざした信仰に関心を持っているという印象を受ける。
もしそのふたつの要素が交差し、少年を主人公にした映画を作るのであれば、通過儀礼にまで踏み込んだ作品を作りたくなるのではないだろうか。
そして実際、この映画には、通過儀礼を想起させるようなエピソードが垣間見られる。最初に印象に残ったのは、コンドリの祖母が彼を先祖の墓地に連れていく場面だ。そのとき、コンドリにとって死はまだ遠いもので、身近に認識することはできないはずだが、ドラマはこのエピソードを起点として、死によって結ばれ、深められていくと見ることもできる。
まず、祖母の死がある。父親が出稼ぎに出て、鉱山で働いているコンドリの友だちのコーリーは、父親に会うためにキャラバンとともに旅立つが、その先にあるのは悲しい出来事だ。そして、コンドリにとって最も重要な体験となるのが、動けなくなったリャマの運命だ。 |