生きていくために、ヤクを引き連れ、険しいヒマラヤ山脈を越えて塩を運ぶキャラバン。そのキャラバンを率いる指導者の地位をめぐって、村に対立が起こる。自分の後継者となるはずだった長男を事故で失った長老ティンレは、指導力のある長男の親友カルマを信用できず、指導者の立場を譲ろうとしない。カルマは、そんな長老に反発するように、村人を率いて旅立ってしまう。
標高4000メートルを越える場所にクルーが長期滞在し、何度となく5000メートルの峠を越えて敢行されたという撮影。すべてが過酷であり、過酷であるがゆえのとぎすまされた美しさが、そこにはある。
しかしもっと素晴らしいと思うのは、この映画が、単に世代の対立と和解を描いているのではなく、もっと大きな視野から、伝統を支える物語が生まれる(あるいは更新される)現場を描いていることだ。
伝統はただ守っているだけでは、現在進行形の現実との接点を失い、滅びていく。苛酷な現実から生きた物語が紡ぎだされ、やがて物語のなかに息づく現実が風化し、物語の効力が失われていく。しかし、人々が生存の危機に立たされたとき、苛酷な現実が再び形骸化した物語に新たな生命を吹き込む。
生きた物語から見放されかけている長老とカルマは、どちらもエゴを剥きだしにする。長老は年端も行かぬ孫を強引に自分の後継者に据えて、村に残った非力な老人や子供でキャラバンを編成し、カルマを追う。カルマは、物語や自然ではなく、自分だけを信じようとする。
彼らはそれぞれのエゴに命をかけ、断崖絶壁に自力で活路を切り開くような最も困難な道を選ぶ。必死に戦う彼らの道はやがてひとつになり、彼らは自然に祝福され、物語に受け入れられていくことになる。
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