デイヴィッド・シルヴィアンはご存知のように、ポップな音楽シーンから距離をおき、内省的な姿勢で独自の音楽空間や表現を探求しつづけるアーティストである。JAPAN以後の彼のソロ作品は、最初にサウンドを耳にしたときから明確なインパクトを感じるような作品ではなくなっていったが、
シルヴィアンの音楽世界は、地味ながら確実に変化し、発展しつづけている。その発展の一因となっているのは、ヴォーカル・ナンバーとインスト作品に対する意識の変化ではないかと思う。このふたつの要素が、分離したり融合することによって、サウンドが視覚的な広がりをもったり、
歌詞やヴォーカルが私的な世界を深め、表現が確実に変改しているということだ。
たとえば、シルヴィアンのソロ第1作となった「ブリリアント・トゥリー」は、いちおう全曲ともヴォーカル作品ではあるが、その内容はポップなビートを持った曲から、ヴォーカルが楽器のひとつに近くなっている曲までバラエティに富んでいる。つづく大作「ゴーン・トゥ・アース」では、
全曲がヴォーカル編とインスト編にはっきりと分けられ、それぞれに可能性が追求されている。そしてこうした探求が、「シークレッツ・オブ・ザ・ビーハイヴ」へと結実する。このふたつの要素の相乗効果が、彼の音楽を常にフレキシブルなものにしているのだ。
また、「シークレッツ・オブ・ザ・ビーハイヴ」の到達点が、同時に、ホルガー・チューカイとのコラボレーションによるインストの新たな探求をたぐりよせていることにも注目しておく必要がある。チューカイとのコラボレーションである「プライト&プレモニション」や「フラックス・アンド・ミュータビリティ」は、
即興やサウンドの編集の可能性を広げ、JAPANのメンバーが再結集した「レイン・トゥリー・クロウ」の伏線になっているともいえる。
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この「プライト&プレモニション」の解説のなかで、シルヴィアンはこんなふうに語っている。「ホルガーは、1曲目の
<プライト>
のダビング編集を行い、大胆なカッティングによって見事な作品に仕上げた。僕はこの編集をフィルミック・クォリティ(映像の質)と呼んでいる。その編集内容は、聴くという要素を維持しながら、
リスナーの視覚的な想像力をふくらませる効果を持ち、どんな状況下においてもそのスタイルを変えていくものだ。このアプローチは、根本的に音楽というものが、視覚的な形態になるという興味深い可能性を示しているといえよう。それは、まるで映画を編集するようなものであり、過去のホルガーの方法ともかけ離れたものではないのである」