<ゴッド・ブレス・アメリカ>と<イマジン>が象徴するもの

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(初出:「音楽倶楽部」Vol.8,2001,winter、若干の加筆)

 世界を震撼させた同時多発テロ事件は、アメリカのあらゆる領域に様々な影響を及ぼしている。音楽も例外ではない。というよりも音楽への影響は、現在のアメリカの状況を如実に反映している。事件が起こってからというもの、CMや広告、街角などに星条旗が急増したように、音楽でもアメリカ国歌や<ゴッド・ブレス・アメリカ>を筆頭として、国民の愛国心に訴えかける曲が頻繁に流れるようになった。

 一方、そうしたムードのなかで異彩を放っていたのが、ジョン・レノンの<イマジン>だ。この曲は、全米最大のラジオ・ネットが事件後に作成した放送自粛曲のリストに加えられていたが、テロへの報復、戦争の機運が高まるにつれ、リクエストが殺到するようになったという。

 四大ネットワークが企画、制作したテレソン「America; A Tribute to Heroes」では、ニール・ヤングがこの曲を歌った。オノ・ヨーコはNYタイムズ紙に、<イマジン>の歌詞の一節を引用しただけの全面広告を掲載した。テロで延期されたジョンのトリビュート・コンサートは、テロの被災者へのチャリティとなり、ジョンのメッセージがさらに具体性を帯びることになった。

 事件後のこの音楽の変化はもちろん、団結してテロに立ち向かおうとする好戦的な感情と、戦争ではなく平和を求める感情を反映している。しかしそれだけではなく、筆者には、国歌や<ゴッド・ブレス・アメリカ>と<イマジン>のコントラストは、アメリカがずっと背負いつづけている根深い問題を象徴しているように思えてならない。

 その問題を明確にする上でとても参考になるのが、最近邦訳が出た社会学者トッド・ギトリンの『アメリカの文化戦争』だ。本書には“たそがれゆく共通の夢”という副題がつけられているが、この言葉は本書の内容を端的に物語っている。

 移民、多民族の国であるアメリカは、民族性や伝統とは異なるアメリカ人としての共通のアイデンティティを求めつづけ、それぞれの時代に何とか共通の夢を紡ぎだしてきたが、いまそれが崩壊の危機に瀕している。台頭する多文化主義があまりにも急進化し、マイノリティやエスニック・グループがアメリカ全体を見渡すのではなく、まず第一に他者を批判することで自分たちのアイデンティティを確立しようとする。そうなるとひとつのアメリカは分裂するしかなくなってしまうのだ。


 


 そこで注目したいのが、アメリカがこれまでどのように共通の夢を生きてきたのかということだ。本書のなかに「戦争は国内の画一性に祝杯をあげる季節になる」とか「戦争はアメリカ精神がたるんできたと思われる時分に起きては、その緩んだたがを締め直した」という記述があるように、アメリカは外部に敵を見出すことによって結束してきた。本書によれば<星条旗よ永遠なれ(スター・スパングルド・バナー)>は、第一次大戦中に陸軍によって国歌として歌いだされたのだという。但し、惨めな敗北を喫したヴェトナム戦争は例外だが、その後のレーガン政権はソ連との対立構造を煽ることで、外部の敵に支えられた共通の夢を復活させた。しかしその冷戦もいまは終わりを告げている。

 筆者は今回のテロ事件には、もうひとつの悲劇があると思う。冷戦も終わり、湾岸戦争も短期間で終結し、もはや大々的な戦争は起こらないという考えが、アメリカ人のなかには確実に浸透しつつあった。だからこそアメリカは内向きになり、内部に敵を見出し、文化戦争が激化したのだ。それは分裂の危機をはらむ深刻な戦争だが、それでも共通性を探求する上で、外部の敵に支えられるのではない、新たな段階に踏みだすための可能性は秘めていたはずだ。

 ところが、テロで外部に新たな敵を見出したことで、すべては逆戻りしてしまい、いまでは根深い問題を先送りしようとしている。もう一歩踏み込んだ言い方をすれば、単に先送りするのではなく、アメリカ型市場主義をなし崩し的にグローバリズムにしてしまうことで、問題を消し去り、表層的で空虚な共通の夢に置き換えようとさえしている。いま愛国心に訴える音楽は、そんなアメリカの選択を象徴してもいるのだ。

 それでは<イマジン>はといえば、この曲もまたアメリカの現状と照らし合わせてみると、平和を象徴するだけではない、もっと深い意味を読み取ることができる。それを明確にするためには、まず“アメリカの夢”の本質について考えてみる必要がある。アメリカ人は現実世界に共通性を求められると、矛盾が露呈するために、アメリカの夢=共通の夢を必要とする。『アメリカの文化戦争』には、国家と夢を同一視することについて、「アメリカは未だ存在せず、目下のところ人間が集団で抱く期待である」という記述がある。

 そんなアメリカの夢と<イマジン>を対比してみれば、想像力と現実がまったく逆転していることがわかるだろう。<イマジン>は現実を踏まえたうえで、理想的な世界を想像しようとする。しかもそこには、「Imagine there’s no countries」や「Imagine no possessions」というような詞がある。アメリカは、現実ではなく、この先に開けるはずの夢のなかに国家があり、冷戦時代には外部の敵に対して、所有し消費することが共通の夢の顕在化であったのに対して、<イマジン>は、外部の敵やグローバリズムを否定するかのように、国家や財産のない世界を想像してみようと語りかけてくるのだ。つまり<イマジン>は、アメリカ人にとって、国歌や<ゴッド・ブレス・アメリカ>とは対極にある重い踏絵ともなりうるのである。



(upload:2002/04/29)

《参照/引用文献》
『アメリカの文化戦争 たそがれゆく共通の夢』●
トッド・ギトリン 疋田三良・向井俊二訳(彩流社、2001年)

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