TOKYO YEAR ZERO / デイヴィッド・ピース
TOKYO YEAR ZERO / David Peace


2007年/酒井武志訳/文藝春秋
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(初出:「STUDIO VOICE」2008年1月号)

彼らがやりたいことをやれる闇の世界

 デイヴィッド・ピースの新作は、<東京三部作>の第一作にあたる。三部作は、それぞれ「小平事件」「帝銀事件」「下山事件」を題材にし、日本の占領期を描き出していく。

 この第一作のプロローグには、玉音放送が流れる場面がある。本書の題名が物語るように、三部作は東京がゼロになった年から始まる。だが、そこに描かれるエピソードは、必ずしもゼロからの始まりを意味してはいない。憲兵と警官が敗戦の日の朝からある殺人事件の捜査に乗り出し、犯人をでっち上げ、玉音放送を経て、男をその場で処罰するのだ。そして本編は、最初の敗戦記念日から始まる。芝増上寺で二体の女性の他殺死体が発見される。事件を追う捜査陣は、連続殺人鬼・小平義雄の犯行を明らかにしていく。しかし、主人公である三波警部補のなかには、封印したはずの過去、一年前の事件の記憶が甦り、次第に追い詰められていく。

 戦争の傷跡が生々しく残る街、進駐軍のために設けられた娼館、闇市をめぐるヤクザと外国人の抗争、買い出し列車、食糧や物資の欠乏につけ込む殺人鬼。ピースが東京に暮らし、豊富な資料と綿密な取材に基づいているだけあり、そこに違和感を覚えるようなエキゾティシズムはない。また、この小説は、ノワールであるだけでなく、緻密に構成されたアンチ・ミステリにもなっている。物語のなかに頻繁に挿入される「自称通りの人間はもはや誰もいない…」「見かけ通りの人間は誰もいない…」という言葉は、そのヒントになるだろう。筆者は、ヒョーツバーグの『堕ちる天使』を連想した。


◆プロフィール◆

デイヴィッド・ピース
1967年、イギリス、ヨークシャー生まれ。 作家になるのは幼い頃からの夢だった。 1994年、東京に移住。 1999年、『1974 ジョーカー』で作家デビュー。 2004年、第四長編『GB84』でイギリスでもっとも伝統ある文学賞 「James Tait Black Memorial Prize」を受賞。 現代イギリス文学の旗手。 ジェイムズ・エルロイ、ジム・トンプスンらのノワールを愛し、 ジェイムズ・ジョイスやサミュエル・ベケットらに傾倒。 ミステリと文学の垣根を蹴破る鬼才。 現在も東京在住。


 

 しかし、それだけなら、もっと表面的な作品になっていたはずだ。この小説は、ピースがこれまで切り開いてきた世界の上に成り立っている。彼は、ヨークシャー四部作とそれに続く『GB84』で、ヨークシャー・リッパーことピーター・サトクリフとマーガレット・サッチャーの時代を背景に、激しい混乱と暴力のなかで劇的な変貌を遂げるイギリスを描き出してきた。そんな彼の作品のなかで際立っていたのは、豊かな南部と貧しい北部という南北の格差だ。それは、北の男たちの精神に多大な影響を及ぼしている。

 『1974ジョーカー』の主人公の記者エディーは、かつて北を離れ、大学に通い、ロンドンで働いていた。そんな息子に対する父親の別れ際の言葉は、「南はおまえを軟弱にするぞ、きっとな」だった。エディーを痛めつける警官は、「これが北だ。おれたちはやりたいようにやるんだ!」と語る。彼らがやりたいことは、四部作を通して次第に鮮明になる。そして最後の『1983ゴースト』の終盤には、再び「これが北だ」「彼らがやりたいことをやれる世界」という言葉が浮かび上がってくる。歴史の歪みから闇が生まれ、北を支配しようとする。四部作の主人公たちは、それぞれにこの闇の力に翻弄される。警察署や新聞社の同僚たちは次第に遠ざかり、彼らは気づかぬうちに孤立し、強迫観念に囚われ、やがて崩壊していくことになるのだ。

 ピースは、日本の占領期に、この四部作に通じる闇を見出した。小平義雄の犯罪は、ヨークシャー・リッパーのそれと同じように、三波警部補がそんな闇へと踏み込む入口となる。彼の周囲には、「トントン」という復興の槌音が響き続ける。しかし、彼に未来はない。彼は、「ガリガリ」と身体を掻き続けるが、それは虱のせいだけではない。封印したはずの過去が、言葉となって漏れ出してくる。ヤクザと取り引きして手に入れたカルモチンがなければ、眠ることもできない。上司や同僚たちは、見えないとこで陰謀をめぐらしている。孤立した彼は、現実と幻想の狭間を彷徨い、闇の力と過去に押し潰されていく。

 この第一作から見えてくるのは、まだ「彼らがやりたいことをやれる世界」の片鱗に過ぎない。本書の解説によれば、ピースは次作で、「組織が生み出した、個人に還元できない毒の霧のような病理」を描くという。

 

《参照/引用文献》
『1974ジョーカー』デイヴィッド・ピース●
酒井武志訳(ハヤカワ文庫、2001年)
『1983ゴースト』デイヴィッド・ピース●
酒井武志訳(ハヤカワ文庫、2004年)


(upload:2009/03/19)
 
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