しかし、それだけなら、もっと表面的な作品になっていたはずだ。この小説は、ピースがこれまで切り開いてきた世界の上に成り立っている。彼は、ヨークシャー四部作とそれに続く『GB84』で、ヨークシャー・リッパーことピーター・サトクリフとマーガレット・サッチャーの時代を背景に、激しい混乱と暴力のなかで劇的な変貌を遂げるイギリスを描き出してきた。そんな彼の作品のなかで際立っていたのは、豊かな南部と貧しい北部という南北の格差だ。それは、北の男たちの精神に多大な影響を及ぼしている。
『1974ジョーカー』の主人公の記者エディーは、かつて北を離れ、大学に通い、ロンドンで働いていた。そんな息子に対する父親の別れ際の言葉は、「南はおまえを軟弱にするぞ、きっとな」だった。エディーを痛めつける警官は、「これが北だ。おれたちはやりたいようにやるんだ!」と語る。彼らがやりたいことは、四部作を通して次第に鮮明になる。そして最後の『1983ゴースト』の終盤には、再び「これが北だ」「彼らがやりたいことをやれる世界」という言葉が浮かび上がってくる。歴史の歪みから闇が生まれ、北を支配しようとする。四部作の主人公たちは、それぞれにこの闇の力に翻弄される。警察署や新聞社の同僚たちは次第に遠ざかり、彼らは気づかぬうちに孤立し、強迫観念に囚われ、やがて崩壊していくことになるのだ。
ピースは、日本の占領期に、この四部作に通じる闇を見出した。小平義雄の犯罪は、ヨークシャー・リッパーのそれと同じように、三波警部補がそんな闇へと踏み込む入口となる。彼の周囲には、「トントン」という復興の槌音が響き続ける。しかし、彼に未来はない。彼は、「ガリガリ」と身体を掻き続けるが、それは虱のせいだけではない。封印したはずの過去が、言葉となって漏れ出してくる。ヤクザと取り引きして手に入れたカルモチンがなければ、眠ることもできない。上司や同僚たちは、見えないとこで陰謀をめぐらしている。孤立した彼は、現実と幻想の狭間を彷徨い、闇の力と過去に押し潰されていく。
この第一作から見えてくるのは、まだ「彼らがやりたいことをやれる世界」の片鱗に過ぎない。本書の解説によれば、ピースは次作で、「組織が生み出した、個人に還元できない毒の霧のような病理」を描くという。
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