ジャ・ジャンクー監督は以前、中国映画にはドキュメンタリーの伝統が欠けていると語っていた。ドキュメンタリーは、長い間、ほとんど政治的なプロパガンダとしてしか機能してこなかったからだ。それだけに新世代の監督たちには、スタイルは違ってもドキュメンタリー的な要素を意識する部分が少なからずあるが、ワン・クァンリーの場合はそれが顕著に表れている。
「私は80年代に四川省の田舎から上海に出て、大学に通いました。第五世代の監督が台頭してきた頃で、彼らの影響も受けました。同時に、日本も含めた西側の映画も観るようになり、新しい作品や考え方に触れるうちに、これまでの中国映画は自分が必要とするものを十分に表していないという不満を感じ、いつか自分で撮りたいという気持ちが芽生えました。大学卒業後、今度は北京に移り、大学で教鞭をとるようになったのですが、ちょうどその頃、インディペンデントというよりはアンダーグラウンドの、しかもフィルムではなくビデオのドキュメンタリーを観て、強烈な印象を受けました。これなら自分でもできるのではないかと思い、自分の教え子を対象としたドキュメンタリーを作ったのです」
彼が大学で教えていたのは意外にも心理学だが、それは彼のドキュメンタリーへの関心とも結びつきがあるように思える。
「最初のドキュメンタリーには、教え子たちの卒業直前の様子が収められています。彼らは88年に入学し、その翌年に天安門事件が起こった。それを経験したことが、中国の学生のなかでも彼らを特別な存在にしているのです。私が描くのは自分の目と主観でとらえた中国の現状であり、その現状のなかで人々がどうしてこういう行動をとるのかということに強い関心を持っているという意味で、心理学は影響を及ぼしていると思います」
彼は、映画人への登竜門、北京電影学院で学ぶこともなく映画界に飛び込み、インディペンデントのシーンで注目される存在となった。新作の『イチかバチか』では、キャストにアマチュアが起用され、発展著しい上海の底辺部分がゲリラ的な戦術で浮き彫りにされる。それぞれに国営企業をリストラされた主人公たちは、新会社を立ち上げ、ある時は逆境のなかで脅威の粘りを発揮し、またある時は宝くじというとんでもない賭けに出る。
|