王光利(ワン・クァンリー)・インタビュー

2002年5月
line
(初出:「キネマ旬報」2002年8月上旬号)
自分の目と主観でとらえた中国の現状

 ジャ・ジャンクー監督は以前、中国映画にはドキュメンタリーの伝統が欠けていると語っていた。ドキュメンタリーは、長い間、ほとんど政治的なプロパガンダとしてしか機能してこなかったからだ。それだけに新世代の監督たちには、スタイルは違ってもドキュメンタリー的な要素を意識する部分が少なからずあるが、ワン・クァンリーの場合はそれが顕著に表れている。

「私は80年代に四川省の田舎から上海に出て、大学に通いました。第五世代の監督が台頭してきた頃で、彼らの影響も受けました。同時に、日本も含めた西側の映画も観るようになり、新しい作品や考え方に触れるうちに、これまでの中国映画は自分が必要とするものを十分に表していないという不満を感じ、いつか自分で撮りたいという気持ちが芽生えました。大学卒業後、今度は北京に移り、大学で教鞭をとるようになったのですが、ちょうどその頃、インディペンデントというよりはアンダーグラウンドの、しかもフィルムではなくビデオのドキュメンタリーを観て、強烈な印象を受けました。これなら自分でもできるのではないかと思い、自分の教え子を対象としたドキュメンタリーを作ったのです」

 彼が大学で教えていたのは意外にも心理学だが、それは彼のドキュメンタリーへの関心とも結びつきがあるように思える。

「最初のドキュメンタリーには、教え子たちの卒業直前の様子が収められています。彼らは88年に入学し、その翌年に天安門事件が起こった。それを経験したことが、中国の学生のなかでも彼らを特別な存在にしているのです。私が描くのは自分の目と主観でとらえた中国の現状であり、その現状のなかで人々がどうしてこういう行動をとるのかということに強い関心を持っているという意味で、心理学は影響を及ぼしていると思います」

 彼は、映画人への登竜門、北京電影学院で学ぶこともなく映画界に飛び込み、インディペンデントのシーンで注目される存在となった。新作の『イチかバチか』では、キャストにアマチュアが起用され、発展著しい上海の底辺部分がゲリラ的な戦術で浮き彫りにされる。それぞれに国営企業をリストラされた主人公たちは、新会社を立ち上げ、ある時は逆境のなかで脅威の粘りを発揮し、またある時は宝くじというとんでもない賭けに出る。


◆プロフィール◆
王光利(ワン・クァンリー)
1966年11月18日四川省眉山生まれ。上海華東師範大学を卒業後、北京の青年政治学校で心理学の講師となる。大学時代に映画評を書いたことを機に、92年6月、教職を辞めてテレビ局に勤める。以後、契約で複数のテレビ局に勤め、主にドキュメンタリーまたインタビュー番組のプロデューサー補としてディレクター、編集等を手がける。同年、天安門事件を扱った初監督テレビ作品『I HAVE GRADUATED』を完成させ話題になる。1993年から96年まではテレビ局に勤め、98年、本編デビュー作となる『處女作』を監督。19日間で撮影されたこの作品は世界20カ国で上映されたが国内ではデビュー作共に未公開である。本作品『イチかバチか』は監督自身の構想による「上海労働三部作」の第1作目で、続く2作目は上海の労働者の息子に生まれた子供の視点でみた作品になるそうだ。現在は北京に在住。中国インディペンデント映画界で最も期待される精鋭であり、TVコマーシャルの監督も手がけ、2本の新作企画を準備中である。
(『イチかバチか』プレスより引用)


「キャスティングについては、彼らに実際に起こったことを描くので、当人たちに出演してもらいました。私には上海を舞台にした"労働三部作"という構想があり、これはその第一弾にあたります。労働者というのは、かつては社会の主役で、労働者であればそれだけで尊敬された。ところが改革開放を経たいまでは、むしろ低く見られる。この映画の登場人物のように、リストラされた労働者となるとなお低く見られる。まるで動いている列車から突き落とされて、それを走って追いかけているようなものです。彼らに責任があるわけではないし、中年にさしかかっていればやり直しもきかない。そういう社会の不公平は問題だと思い、できるだけリアルなかたちで表現してみたいと思ったのです」

 この映画は、単に実話を生々しく再現するだけではなく、監督の主観が随所に反映されている。テレビの宝くじ番組に出演した主人公たちは、奇しくもかつて労働者の誇りを象徴していた赤い色のシャツを身につけている。

「そう、あれには皮肉が込められています。労働者が逆境から抜けだす選択肢のひとつに宝くじがあります。いまはこれをやる人が増えていて、仕事で小銭ができるとすべて宝くじにつぎ込んでしまう人もいます。そういう方法でしか未来を切り開けないというのは、非常に悲しいことです。特に映画の冒頭とラストのドラマは、そういう気持ちを込めて撮りました。それから、もうひとつ私が強調したかったのは、登場人物たちが、どん底状態の時も、宝くじなどで運が向いてきた時も、同じように楽天的であることです。どんな状況であろうとも将来に対して希望を持ちつづけるという人生のあり方に、とても共感を覚えるのです」

 

(upload:2006/06/04)

ご意見はこちらへ master@crisscross.jp


copyright