橋を撮り続けることは、戦場カメラマンや、9・11の時にWTCから飛び降りる人々をとらえたカメラマンの立場に通じるように思える。彼は、目の前の現実をどのように認識していたのだろうか。
「その比較はとても適切なものだと思います。実際に9・11の時には、炎に包まれて死ぬよりも飛び降りることを選んだ人々の姿をリアルタイムで目撃していますし、その光景は決して脳裏から拭い去ることができません。そういう経験があるからこそ、投身自殺を図る人々の映像を使うことに対して躊躇はありませんでした。決して露悪的な使い方はしていないと思います。他にも自殺の瞬間をとらえた映像はありましたが、それを使わなかったのは、映画のクルー以外に目撃者がいなかったからです。他にも目撃者がいれば、共有される社会的な体験として、使うことが許されるのではないかという気持ちがありました」
橋を撮り続けること、自殺した人々に関するリサーチ、彼らの家族や友人へのインタビュー。この映画では、異なる作業がひとつのヴィジョンにまとめあげられているが、どんなプロセスを経てこのような形になったのだろうか。
「作業に取りかかった時には、どのようにひとつの形になっていくのかはっきりしていたわけではありません。ジーンという若者の死を目撃してから、作品の構造が見えてきました。彼は飛び降りるまで93分間、行ったり来たり、立ち止まったりしていました。そこで、ひとりの人間が自ら命を絶つまでの時間のなかに、他の人々の物語を重ねていくような構造になっていったのです。だから、映画のなかで私たちが最初に目撃する自殺者がジーンで、最後に目撃するのも彼で、尺も93分になっています。私にとって重要なのは、自殺にまつわる様々な体験を、プリズムのようにとらえて、観客に感じ取ってもらうことでした」
この映画でもうひとつ印象に残るのが、ゴールデンゲート・ブリッジの美しさだ。自殺という悲劇とその美しさは、際立ったコントラストを生み出していく。
「ゴールデンゲート・ブリッジは、どこから撮っても画になり、毎日違った姿を見せてくれる壮麗な建築物です。しかしそこには、私たちに見えない部分がある。そこから飛び降りる人や泣きながらたたずむ人がいる。飛び降りた人が残す小さな水しぶきがある。映画の冒頭には、完璧な橋のイメージがあります。そこでジーンが自殺し、その90分後には、さらに美しい橋が浮かび上がる。彼の自殺の直後ではないのですが、偶然、虹が出て、それも映像に収められています。二つの橋のイメージの間からは、これまで見えなかった様々な現実が見えてきます。この映画を観た人たちから、以前と同じように橋を見ることができなくなったと言われます。それがまさに私がやりたかったことなのです」
|