フリオ・メデム・インタビュー

1999年 虎ノ門
line
(初出:『ANA+OTTO』劇場用パンフレット、加筆)
偶然に導かれ、サークルを形成する愛の物語

 フリオ・メデム監督の『ANA+OTTO』では、8歳のときに運命的な出会いをしたアナとオットーの17年にわたる軌跡が描かれる。奇妙なすれ違いを繰り返すふたりの軌跡を印象深いものにしているのは、まず何よりもアナとオットーそれぞれの視点で語られる物語という構成であり、そして彼らが導かれていく北極圏の神秘的なサークルだ。彼らは、どこからも誰からも遠く隔てられた世界のなかで、孤立した人間としてお互いを求めつづけ、最後に北極圏で再会するとき、彼らの軌跡もまた時空を越えたサークルを形成する。

――登場人物たちの一人称のナレーションで物語が語られる映画では、監督のスタイルによって、俳優がまずまったくナレーションを意識することなくドラマを演じ、その後でドラマとナレーションが再構成される場合と、最初からナレーションが俳優の頭のなかにはいっていて演じる場合があると思うのですが、『ANA+OTTO』では、俳優たちは、どういうナレーションがかぶるかということを最初から頭に入れていたのでしょうか。

「1ヶ月半に渡ってリハーサルを繰り返し、そのことは頭に入っていました。最初はふたりの主人公だけで始めました。ふたりといっても、時代によって異なる俳優が演じるので俳優の数では6人ということになりますが。それから父親役や母親役の俳優が加わっていきました。毎日、午後になると主人公たちを演じる6人を集めて、ミーティングを行ったのですが、非常に素晴らしい経験でした。このミーティングで大人役の俳優が子供役の台詞を言ってみたり、そういった遊びも盛り込みながら、交流を持ちました。それは、映画のなかに流れを作り出すのに、非常に役立ちました。子供の俳優たちは大人の俳優がどう演じるかを注意していましたし、大人も子供の一挙一動に注目していました。ですので、ストーリーについては全員はっきりわかっていたのですが、子供時代と青春期のふたりは、最終的な結末がどうなるかということを知りませんでした。子供たちのドラマについては、少し衝撃のあるような場面については、われわれが配慮して、具体的に知らせていませんでした。わたしの本当の子供も出演していますが、あの扉の向こうで母親が死んでいるという設定については最後まで伝えませんでした。子供たちの演出については、何らかの物語を発明し、それを有効に活用するようにして演出をしました」

――初監督作品の『Vacas』には藁人形が回転する象徴的なイメージがあり、今回の映画には北極圏のサークルがあるというように、円とかサークルへのこだわりがあるように思うのですが、そういったものに関心を持つきっかけがなにかありましたか。

「いつ頃ということははっきり覚えてはいません。『ANA+OTTO』については、ストーリーは最初の方から時間の流れにそって書いていきましたが、その半ばにさしかかるまではどういう結末になるのか、自分でもわかりませんでした。主人公たちの青春時代のところで、アナがオットーに向かって地図を示しながら、ここから先が北極圏なのだという説明をする場面がありますが、その場面を思いついたときに、このストーリーはもっと先まで行けるだろう、北極圏のサークルを軸として、話を進めていけるだろうと思いました。それから実際にフィンランドを訪れて、そこではっきりとしました。この映画はフィンランドの場面から始めよう。最後のところから、ふたりがなぜそこに至ることになるかを語る映画にしようと決めました。それで、パートナーとの関係を自分のヴィジョンで語っていくようにしたのです。ふたりの主人公はわたしが創造した人物ですが、彼ら自身にも選択の権利を与えよう。彼らが選んだエピソードを通してどのように愛の運命の終着点に向かっていくか、彼ら自身の言葉で語らせるようにしました。それが愛の理想化であろうと判断したわけです」


◆プロフィール
フリオ・メデム
1958年、スペインのサン・セバスチャンで生まれる。17歳で短編映画の制作を始める。バスク大学で精神医学を学んでいる間、サン・セバスチャンの新聞「La Voz de Euskadi」に映画の記事を書くとともに、その他出版物も出していた。85年に医学修士を取ったのち、プロとして映画製作の仕事を行い、短編でふたつの賞を受けている。その後、92年に『Vacas』で長編映画の監督としてデビューし、高い評価を得る。93年には最優秀新人監督としてゴヤ賞を獲得。この映画は英国映画協会から「英国で発表された最も独創性が高く、創造性の高い映画」に対して与えられるスサーランド・トロフィーを獲得。また、92年東京国際映画祭ヤングシネマコンペティションでは東京ゴールド賞・都知事賞を受賞。その他にも、トリノのジオヴァス国際映画祭で最優秀映画賞など多数の映画祭で賞を獲得している。2作目の『La Ardilla roja』は、93年カンヌ国際映画祭のフォートナイト週間で上映され、最優秀外国映画に与えられる審査員特別賞を獲得。この作品に感銘を受けた故スタンリー・キューブリック監督は、自ら手配してプリントを購入。非常に重要で意味の深い素晴らしい映画であると、メデムの才能に対して惜しみない賞讃を贈った。メデムはデンバー国際映画祭でも、映画の芸術性の高さを認められる特別賞を受賞。続いて3作目の『Tierra』は96年カンヌ国際映画祭でオフィシャル・セレクションに選ばれた。4作目にあたる本作『ANA+OTTO』は、99年ゴヤ賞の最優秀オリジナル脚本賞にノミネートされた。本国スペインで興行成績歴代第3位という大きな成功を収めた後、全米で99年4月に公開され、「ヨーロッパの新しい才能」と大きな話題を呼んだ。
(『ANA+OTTO』プレスより引用)


――この映画では、アナとオットー双方の視点で物語が綴られることによって、偶然というものが必ずしも予期せぬ出来事ではないことが明らかになります。たとえば、アナの母親オルガとオットーの父親アルバロが親しくなるのは、最初はまったくの偶然に見えますが、視点が変わると、アナが母親の関心がアルバロに向くような行動をとっていることがわかります。2作目の『La Ardilla roja』でも、ヒロインが記憶喪失なのか、それを装っているだけなのかということが、偶然と必然にかかわってきます。この偶然と必然についての関心はどこからきているのでしょう。

「オルガとアルバロが知り合う場面では、アナが偶然にもアルバロを指さして、彼が母親の恋人となるわけです。さらに彼の息子がオットーだったというもうひとつの偶然が重なります。そうした偶然はわたしの好むところです。おっしゃる通り、必然と偶然ということに非常に関心があります。ただしこの『ANA+OTTO』については、必然よりも偶然に重きを置いてできあがった映画だと思います。しかもこの映画の場合には、ふたりが望んで作った偶然であることをストーリーのなかで強調していると思います。彼らが知り合うのも望んだ偶然によるもので、その後のストーリーも偶然によってつづいていきます。映画の後半の部分では、彼らはいろいろな偶然を求めながら、生きていき、最終的に偶然を北極圏に求めるわけです。  それから『La Ardilla roja』についてですが、こちらの偶然性というのは特に冒頭、リサとホタが出会う場面に出ています。作品の残りの部分には、フィクション的なニュアンスを残しておこうと思いました。彼女は記憶喪失であることを装っているわけです。『ANA+OTTO』の場合は、どういうストーリーになるのか自分でもわからない段階から、偶然性ということに重きを置こうと決めていました。子供たちが駆けっこで知り合う偶然。たまたま上を見上げたらサッカーボールが飛んできて、衝動的に駆け出していく、その先には見知らぬ少女が倒れているということです。これを全体からみるなら、ふたりの少年少女が現実から逃避しようとして、その過程で知り合うところに出発点がある。彼らの人生は偶然に導かれていくというのが当初のアイデアでした」

――監督のこれまでの人生のなかに、そんなふうに必然と偶然を意識するきっかけになるような体験があったのでしょうか。

「そうですね。運命というものについて、わたしにはふたつの強烈な体験があります。青春期にさしかかる頃ですが、ひとりの少女にずっと恋をしていました。熱烈な初恋でした。これは後でわかったことですが、実は彼女はわたしの祖父の孫だった。つまりわたしたちは繋がっていた。祖父がスペインのパラゴサというところに愛人をかこっていたのです。わたしと彼女は別の町で生まれ、ひとつの町で出会うことになったのです。こういった状況は、われわれの周囲にあると誰もが自覚していることです。愛の理想化という点からいえば、偶然というのは常に愛の側にあるものではないかという意識があります。プライバシーを取り巻く謎というのは、力になるのではないかと思います」

――もうひとつの体験というのは。

「もうひとつの出来事は秘密です(笑)」

――『ANA+OTTO』では、最初に昔のパイロットのエピソードがあって、紙飛行機があって、オットーがパイロットになっていくというように、ひとつのイメージが繋がりを持ち、しかもアナの方が別のオットーという名前のパイロットに出会うというように、未来に向かう物語のなかに過去がよみがえり、過去が登場人物にとって重要なものになっていると思うのですが。

「過去についても先ほどお話したサークルという原理に基づいていると思います。映画の最後では、最も残酷な孤独に戻っていくということです。最終的にこの作品は、映画を通して浄化されたふたりの想い出ということになっていると思います。想い出がふたりを一緒にするということです。最初の駆けっこの場面ですが、彼らは何かに逆らおうとして駆け出していくわけです。そこでふたりが出会った瞬間に、彼らは孤独の場所にいる。彼らはあるゴールに向かって駆けていると思うのですが、それは現実と欲求がせめぎあう不安定な場所です。それから映画の中盤ですが、これは愛する相手の内面に入っていこうと努力する部分です。そこでは何らかのかたちで自分を隠すということが繰り返されています。ふたりがまわりに嘘をつき、オルガやアルバロに対して自分を隠す。なぜかというとふたりがふたりになれる場所が見つからないから。そして最後に彼らには北極圏という場所しか残されていない。誰にも彼らの向かっている運命はわからないのです。
 飛行機についてですが、最初に子供が紙飛行機を飛ばすとき、そこには何らかのかたちで現実から逃避したいとか、現実や雲を突き抜けていきたいという少年の願望が反映されているのではないかと思います。飛行機が最終的に何を意味しているかといえば、アナとオットーというふたりのプライバシーに向かった旅立ちであったのかなとも考えています。それから飛行機を放つことによって、オットーはアナに向かって何らかのメッセージを送っていたとも考えています。たとえば、オットーは無意識のうちにパイロットになったわけではないですね、パイロットとして孤独な旅行を繰り返しているわけですが、最初に彼女に発信しようとしたメッセージを伝えるためにパイロットになったともいえるわけです。彼女を導くための職業の選択だったとも思えます」

――監督自身は自分の映画にスペイン的な要素が含まれていると思いますか。

「特にこの映画についてはスペイン的な要素ということを意識をしませんでした。スペイン人であるということから、スペイン的な要素が現われてしまうことは避け難い事実ではありますが、意識的に何かを盛り込もうということは考えませんでした。ただ、地の果てへの旅というイメージがありますね、それはスペインから遠い場所という意味でスペイン的な視点があるという気がします。スペインから見た北極圏というのは、遠く果てしない場所というイメージがあるのです」

――『ANA+OTTO』のドラマや人間の在り方には、神から遠く隔てられた世界を感じるところがあるのですが、監督はどのような宗教観をお持ちなのでしょうか。

「わたしは無神論者です。かつてブニュエルは「わたしは神のおかげで無神論者になった」という言葉を残しましたが、わたしも同様に考えています。わたしは実は独特の宗教観を持っていますが、それを直接映画に描いたことは一度もないと思います。わたしの最初の作品『Vacas』は、当時熱烈なカトリックの信仰を持っていたバスク地方の人々を描いていますが、その作品ですら宗教的なエピソードは極力排除するように心がけたくらいです。宗教との断絶は子供の頃にさかのぼります。わたしはカトリックのミッション・スクールに通っていましたが、当時の支配者であるフランコは教会を保護し、神父たちも彼の独裁政権を情熱的に支持していたのです。そこで私は宗教と断絶し、もはや揺らぐことのない自分の道を歩みだしたわけです」

――最後に、他の監督とか作品で影響を受けたようなものがあったら教えてもらいたいのですが。

「シネフィルということで18歳から25歳頃まではよく映画館に通っていました。その当時、偶然にも日本の古典映画に非常に興味を持っていました。ベルイマン、ヌーベル・ヴァーグ、特にトリュフォー、それからタルコフスキーなどに興味をおぼえ、強い影響を受けました。それは個人的で複雑な意見を独特のフォームを持って語っている作家の影響を受けているということです」


(upload:2002/04/21)

ご意見はこちらへ master@crisscross.jp


copyright