太平洋戦争から50余年、激戦地でともに戦い、いまはそれぞれに平穏な生活を送る木島、村田、伊藤の3人の老人たち。彼らは、戦死した戦友の孫娘で看護婦をしている百合子と出会い、彼女やその恋人の渡辺と世代を越えた絆を育むが、同時に深刻な問題に巻き込まれていく。
現役を退いた老人たちが、ある出来事をきっかけにもう一度立ち上がる。「忘れられぬ人々」の物語は、時代劇や西部劇によくあるパターンを下敷きにしている。だが、パターン通りに白黒をつけて、話が完結することはない。なぜなら、主人公たちをトラブルに巻き込むのは、簡単に白黒をつけることが許されない問題をはらむカルト集団であるからだ。
篠崎監督は、人の”記憶”に着目することで、戦争体験、世代の断絶、老人問題、カルト集団といった要素を巧みに結び付ける。そんな物語は、現代を新鮮な切り口でとらえている。高齢化社会は老人問題を生み、シルバービジネスを装うカルト集団は、老人の弱みにつけ込んで金を搾り取る。それは記憶を金に変えることであり、記憶が唯一無二の財産であるからこそ、老人は騙される。主人公の老人たちは、この貴重な財産を守るために立ち上がるのである。
但し、その記憶の表現にはどうしても引っかかるものがある。このドラマには、戦争を体験した老人と彼らの孫の世代との関係が描かれる。百合子の恋人の渡辺や彼と同世代の若者たちは、シルバービジネスを標榜する企業にカルト集団とは知らずに入社し、反復される映像と言葉の刺激で洗脳され、記憶を規定されていく。これに対して戦争で祖父を失った百合子は、主人公の老人たちの日常から形にならない記憶の豊かさを嗅ぎ取り、引き継いでいこうとする。
であるなら、老人たちの戦争の記憶を具体的な映像で提示してしまうことには疑問が残る。映画が、戦争を体験した戦友たちの絆とカルト集団における擬似的な戦友らしきものの絆を対比的に描こうとしているのはわかる。しかし、形にならない記憶の豊かさを映像で具体的に描いてしまえば、それは主人公の老人たちの存在と観客の想像力を必要以上に規定してしまうことになるだろう。
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