ベン・アフレックの監督第2作、チャック・ホーガンのミステリー『強盗こそ、われらが宿命<さだめ>』を映画化した『ザ・タウン』でまず興味をそそられるのは、物語の舞台となるマサチューセッツ州チャールズタウンだ。
ボストンの北東部に位置し、住民たちが“タウン”と呼ぶこの地域は、他のどの地域よりも多くの銀行強盗、現金輸送車強盗を生み出してきた。もちろんそれには理由がある(ことになっている)。かつてチャールズタウンには凶悪犯罪者用の最重要警備刑務所が存在し、その刑務所が移転したあとも、犯罪者の共同体が残った。
アフレックがそんな背景に関心を持っていたことは、プレスに収められた彼のコメントから察せられる。
「家族の誰かが刑務所に入ると、家族はそこへ移転した。出所しても、また舞い戻り、刑務所を中心にコミュニティーができていった。そんななかで、銀行強盗が父から息子へ受け継がれていったということが原作の中では仮説として取り上げられていて、僕たちもそれを映画に盛り込んだんだ」
この映画では、そんな共同体が物語や人物と複雑に絡み合っている。タウンで生まれ育った主人公ダグ。彼の父親は終身刑、母親は彼が6歳のときに家出し、彼はプロホッケー選手になる夢に破れ、銀行強盗グループのリーダーになった。だが、グループが襲った銀行の支店長クレアとの出会いが、彼の人生を変えていく。
物語の焦点になるのは、ダグが共同体を抜け出せるかどうかだけではない。この映画に描かれるのは、かなりいびつな共同体だ。一般的には土地と人の繋がりから共同体が生まれる。しかし、この映画の登場人物たちは、必ずしも直接的に土地と繋がりを持っているわけではない。しかも、もともと共同体の中心であったはずの刑務所はもはや存在していない。それでもお互いに助け合う共同体は維持されているのか。そして、共同体の中心はどこにあるのか。
この映画では、内部と外部の双方から共同体が崩壊していく。共同体の中心になっているのは、強盗グループの元締めである花屋のファーギーだ。ダグは、両親の運命にファーギーが関わっていることを知らない。そして、ファーギーの正体が見えてくるに従って、共同体が一世代前の時代にすでに形骸化していたことが明らかになる。突き詰めれば共同体はファーギーが利用するためだけに存在しているのだ。
一方、ダグとクレアの関係は、共同体が外部からも侵食されつつあることを示唆する。ダグは、銀行襲撃の際に人質にとったクレアがタウンの住人であったことを後で気づき、彼女が何を見て、何を知っているのかを確認するために、偶然を装って接近する。
銀行の支店長という高い地位にあって、しかも一人暮らしの女性であるクレアが、なぜタウンの住人なのか。それは、タウンのなかでジェントリフィケーションが進んでいるからだ。もともと土地そのものとの関係が希薄な共同体であるうえに、土地そのものも大きく変化しつつあるということだ。
プレスには、製作のベイジル・イヴァニクのこんなコメントがある。「チャールズタウンは過渡期にある。ここ数年で、かなり高級住宅地も増えたんだよ。ある街角に立ち、片側を見ると、そこには瀟洒なタウンハウスや美しい街路樹が見える。まるで本から飛び出してきたような光景だ。そして同じ場所から反対側を見ると、ほんの数ブロック先には“プロジェクト”と呼ばれる低所得者用の公営団地があるんだ」 |