ルーカスがこのように、映画のなかに神話的な世界を作り、その世界を通して父子の伝統的な関係を呼び覚まそうとするからには、彼のなかには、乗り越えるべき父親が不在の現代に対する屈折感があるはずだろう。そんなことを考えると、彼がスター・ウォーズの新たな三部作でどんな物語を紡ぎだすのか期待が膨らみもする。
ダース・ベーダーとなったルークの父親アナキンの物語を綴るということは、伝統的な価値観がいかにして裏切られるのかが見えてくることになるからだ。
というよりも、筆者が興味をそそられるのは、この裏切りを神話としてどう描くのかということだ。ルーカスはデジタル技術の驚異的な進歩によって、新しい三部作を描くことが可能になったというが、その言葉が、神話の闇を描けるときがきたことを意味していなければ、映画は退屈なものになってしまうだろう。
「エピソード1」は、そんな期待を持ってみると、これから大きくうねりだす物語の予告編に近い。見所となるのは、官僚主導の政治体制によって指導力が低下した共和国のなかで、経済摩擦をめぐって武力行使に出る巨大な通商連合とその脅威にさらされる惑星ナブーのあいだの戦いであり、通商連合を影であやつる闇の騎士シスとジェダイの戦いだ。
父親を知らない9歳の少年アナキンは、奴隷の身分で惑星タトゥイーンに暮らし、ジェダイの騎士との運命的な出会いを経て、通商連合との戦いで驚異的な力を発揮し、ジェダイになるための訓練を受けることを認められる。ここまでの少年の物語は、ルークの軌跡とパラレルな関係にあり、共通する資質を備えた人物がたどる対照的な運命については、次回作を待たなければならない。
しかしこの映画は、次回作に期待してよいのか不安の残る予告編である。たとえば、アナキン少年をジェダイの世界に受け入れるかどうかを決定するのは、選ばれた12人のジェダイから成る評議会で、それはアーサー王の円卓の騎士そのものなのだが、戦闘シーンやアクションに押されて、ひどく存在感が薄い。ささやかな期待を感じさせるのは、
アナキンをジェダイに委ねる母親シミとアナキンの孤独を癒そうとする惑星ナブーの王女アミダラの存在だ。
アーサー王伝説には、キリスト教化の過程で物語から女の存在が排除されてきた歴史がある。これまでのルーカスの世界でも、レイア姫を筆頭に女のキャラクターは常にお飾りとなってきた。そこでもし次回作で、彼女たちの存在が、円卓の騎士の結束を揺さぶることにでもなれば、神話の闇が開けてくるように思えるからだ。
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