モンゴル
Mongol


2007年/ドイツ=ロシア=カザフスタン=モンゴル/カラー/125分/シネスコ/ドルビーデジタル
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(初出:「香港電影通信」2008年)

投獄され、生まれ変わるテムジン

 セルゲイ・ボドロフ監督の『モンゴル』では、後にチンギス・ハーンとなる少年テムジンが、苛酷な運命に翻弄されながら成長し、モンゴル統一に乗り出していく物語が、壮大なスケールで描き出される。だが、同じようにテムジンを題材にした作品でも、井上靖の小説『蒼き狼』や昨年公開された澤井信一郎監督の『蒼き狼 地果て海尽きるまで』などと比較してみると、そのアプローチには大きな違いがある。この二作品では、祖先の伝承とチンギス・ハーンの生涯を記録した歴史書『元朝秘史』にならうように、物語が展開していくが、『モンゴル』では、ボドロフによってかなり自由な解釈が加えられている。

 この映画のなかでまず注目しなければならないのは、テムジンが数年に渡って投獄されるエピソードだろう。杯を交わした兄弟でありながら宿敵となったジャムカに敗れ、奴隷として売られた彼は、異国の地タングートで囚われの身となり、檻のなかで幽鬼のような姿になって生きつづける。この投獄のエピソードは、物語のなかで重要な位置を占めている。映画はこのタングートの場面から始まり、時間を遡ってそこに至る軌跡が明らかにされていく。だから、テムジンが檻のなかで過去を振り返り、生まれ変わろうとしているようにも見える。

 プロダクションノートには、この投獄のエピソードが、ボドロフの解釈から生まれたと書かれている。『元朝秘史』に記録されたチンギス・ハーンの人生には、空白の期間があり、ロシアの歴史学者レフ・グミリョーフは、彼が捕らえられ、牢に繋がれていたと推測した。ボドロフはその見解を参考にして、このエピソードを作り上げた。テムジンがモンゴルの統一に乗り出していくこの映画には、もちろん壮絶な戦闘シーンも盛り込まれているが、ボドロフが掘り下げようとするのは、必ずしもそうした統率者としての資質ではない。

 この『モンゴル』とボドロフの過去の作品には、興味深い接点がある。彼はこれまで様々なかたちで檻のなかの人間を描いてきた。『自由はパラダイス』(89)の主人公は、少年院に収監されている身寄りのない13歳の少年で、自由を求める彼は何度も脱走を繰り返す。やがて父親が生きていることを知った彼は、父親が服役している極北の刑務所目指して旅立っていく。チェチェン紛争を題材にした『コーカサスの虜』(96)では、チェチェン人の捕虜になったロシア兵の若者を主人公にして、戦争の悲劇が描き出される。『ベアーズ・キス』(02)では、天涯孤独のブランコ乗りの少女と一匹のクマの間に愛の絆が芽生えるが、そのクマはただのクマではない。彼女は、檻のなかのクマが人間の青年に姿を変えられることを知るのだ。


◆スタッフ◆
 
監督/脚本/製作   セルゲイ・ボドロフ
Sergei Bodrov
撮影 セルゲイ・トロフィモフ、ロジェ・ストファーズ
Sergey Trofimov, Rogier Stoffers

編集

ザック・スティーンバーグ
Zack Staenberg
 
◆キャスト◆
 
テムジン=チンギス・ハーン   浅野忠信
Tadanobu Asano
ジャムカ スン・ホンレイ
Honglei Sun
ボルテ クーラン・チュラン
Khulan Chuluun
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(配給: ティ・ジョイ、東映 )


 ボドロフが、このように檻のなかの人間にこだわるのは、ソビエト時代の抑圧的な社会のなかで成長してきたことと無縁ではない。そして、彼の独自の視点は、『モンゴル』にも引き継がれている。彼はプロダクションノートに引用されたコメントのなかで、テムジンが投獄されるエピソードについて、このように語っている。「これは物語上、とても重要だ。ロシアの19世紀の革命家やスターリン時代に長い年月を獄中で過ごした人々の何人かが、後に哲学者や偉大な人物となったように、テムジンが瞑想し深く考える月日を持たなければ、後のチンギス・ハーンは存在しなかったのではないか」

 ボドロフのアプローチは、ロシアの抑圧の歴史がヒントになっている。しかし、ヒントになった抑圧は果たしてこれだけだろうか。囚われの身となったテムジンの姿を見ながら、筆者が思い出したのは、ソビエトとモンゴルの関係だった。かつてソビエトはモンゴルを抑圧し、チンギス・ハーンの存在にも大きな影響を及ぼしていた。

 たとえば、ラーフ・フォックスの著書『ジンギスカン』の解説には、以下のような記述がある。「チンギス崇拝が、分断されたモンゴル諸族の糾合に、大いに力を発揮するおそれもあった。ソビエト政権は、モンゴル諸族を言語的に分断するために、それぞれの方言ごとに異なる正書法を与え、各方言を異なる独立の言語に仕立てあげるために、伝統的な共通の文字を奪ったほどである。ソ連がチンギス・ハーンの名を歴史から抹消しようとつとめたことは、かれらの共通の文字を抹消しようとした目的と一つであった」

 さらに、ジャック・ウェザーフォードの著書『パックス・モンゴリカ』にも、以下のような記述がある。「二十世紀に入ると、チンギス・ハンの生誕と埋葬の地を民族主義のシンボルにさせまいとして、ソビエト連邦の支配者たちはその場所の守りを固めた。(中略)行政的に周辺の地域と切り離して中央政府の所轄とし、モスクワから直接支配したのである」

 『モンゴル』を作るためにチンギス・ハーンに関して様々なリサーチをしたボドロフが、そんな歴史を知らないはずはない。それでは、ソビエトが崩壊し、チンギス・ハーンが政治的な呪縛から解放され、ドイツ、ロシア、カザフスタン、モンゴル合作、全編モンゴル語で、テムジンの映画が作れることになったら、これまで抑圧にこだわってきたロシア人のボドロフは、そこになにを盛り込もうとするだろうか。投獄されたテムジンに、ソビエトとモンゴルの関係が反映されていてもなんの不思議もない。というよりも、そう見るべきだろう。

 しかし、この投獄のエピソードには、それだけでなく、さらに深い意味が込められている。この映画の終盤で、投獄されていたテムジンは、妻ボルテの勇敢で献身的な行動によって救い出される。但し、自由の身になったとはいえ、それまでの経緯からして、彼に統率者としての絶対的な地位が確保されているとはともて考えられない。ところが、そんな彼は、モンゴルを統一する野望に燃えて家族の前から姿を消したかと思うと、いきなり大軍を率いて大平原に現れ、ジャムカとの決戦に臨む。これでは、彼の統率者としての資質が見えてくるはずもないが、ボドロフは、そんな資質を掘り下げるかわりに、投獄の体験からもうひとつのテムジン像を引き出そうとするのだ。

 そこで筆者が注目したいのが、チンギス・ハーン、というよりも、『元朝秘史』とシャーマニズムの繋がりだ。この歴史書を研究・解読することは、その一字一句を事実とみなして科学的に実証することだけを意味するわけではない。たとえば、『パックス・モンゴリカ』では、ロシア人の研究者O・プレヴ教授の解読作業が以下のように紹介されている。「プレヴの解釈によると、チンギス・ハンは歴史上もっとも強力なシャーマンであり、『元朝秘史』は彼が権力の座に上りつめる経緯を象徴的に記録した秘義の書だった」。さらに、佐藤正衞の著書『北アジアの文化の力』でも、『元朝秘史』を重要な手掛かりとして、シャーマニズムが現実的に検証されている。

 ボドロフが生まれたのは、シベリア東部のハバロフスクだが、シベリアといえばシャーマニズムに縁のある土地である。『ベアーズ・キス』のプレスに収められたインタビューのなかで、彼はこんなことを語っている。「シベリア東部で生まれた私は、周囲に虎やクマなどのたくさんの動物がいる環境で育ちました。小さいころには、まじない師や姿を変える動物の話もよく聞かされたものです。そして、大きくなったとき、私は自分が聞いた人間とクマの物語が、ロシア地方だけのものではないことを知ったのです。同じような言い伝えは、アメリカの先住民のあいだにもアフリカにもありました」

 ボドロフにとってシャーマニズムは、決して遠いものではない。実際、『モンゴル』には、シャーマニズムを連想させる場面がある。テムジンが、山にある遺跡のような空間で祈りを捧げると、遺跡の陰から狼が姿を見せる。『元朝秘史』に記録された伝承では、チンギス・ハーンの一族の始祖は、蒼き狼とされているから、狼が現れることに不思議はない。重要なのは、それが何を意味しているかだ。この祈りの場面は、伝承を象徴的に描いているのではなく、明らかにテムジンと祖霊の交信を表現している。投獄されたテムジンは、数年に渡る瞑想を通してどのように生まれ変わるのか。ボドロフはそれをはっきりとは描かないが、彼がシャーマニズムを意識していることは間違いない。この映画からは、まさにボドロフ独自のテムジン像が浮かび上がってくるのだ。

 


《参照/引用文献》
『ジンギスカン』ラーフ・フォックス●
由良君美訳(筑摩書房、1992年)
『パックス・モンゴリカ チンギス・ハンが作った新世界』ジャック・ウェザーフォード●
星川淳・横堀冨佐子訳(日本放送出版協会、2006年)
『北アジアの文化の力 天と地をむすぶ偉大な世界観のもとで』佐藤正衞●
(新評論、2004年)

(upload:2009/03/02)
 
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