湖のほとりで
La Ragazza del Lago / The Girl by the Lake


2007年/イタリア/カラー/95分/シネマスコープ/ドルビーDTS
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(初出:web-magazine「e-days」Into the Wild2009年6月24日更新、若干の加筆)

 

 

心の振幅を描き出す深い洞察と抑制された演出

 

 アンドレア・モライヨーリ監督のイタリア映画『湖のほとりで』は、ノルウェー出身の女性作家カリン・フォッスムのミステリを映画化した作品だ。

 これがどんな作品なのかは、ふたつの情報から察することができるだろう。まず、イタリア本国では当初は小さな劇場での公開だったが、口コミで話題が広がった結果、240館以上で公開されることになった。そして、イタリアのアカデミー賞にあたるダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞で、作品賞、監督賞、男優賞、撮影賞、脚本賞、編集賞など、史上最多となる主要10部門を独占した。

 この映画には派手さや話題性はないが、心に染み入るような実に深い味わいがある。モライヨーリ監督にとっては長編デビュー作になるが、彼はナンニ・モレッティ監督のもとで長い間助監督を務めてきた。この作品には、その間に培われた経験や磨き上げられた美学が集約されている。

 舞台は、近くに山がそびえ、森が広がり、静かな湖がある北イタリアの小さな村だ。その湖のほとりで村に住む美しい娘アンナの死体が発見される。そして、村に越してきたばかりのベテランの刑事サンツィオが捜査を進めていくと、住民たちがそれぞれに複雑な感情を胸に秘めていることが明らかになっていく。

 この映画は導入部を観ただけでも、脚本やカメラワークなど、いかに丁寧に、緻密に世界が構築されているのかがよくわかる。まず、小学生の女の子マルタが叔母の家から自宅に向かうが、その途中で通りかかったトラックに乗り込む。やがてマルタの母親と隣人たちが、姿の見えない彼女を探し始め、サンツィオが呼び出される。マルタは、村の外れに住む知的障害のあるマリオと過ごしている。そこには、忌まわしい事件が起こってもおかしくないような不穏な空気が漂う。

 結局、マルタは何事もなく戻ってくる。だが、このエピソードは、観客をミスリードするためだけにあるのではない。戻ってきたマルタは、母親やサンツィオに、伝説が本当に起こったと告げる。それは、湖には蛇が棲んでいて、それを見ると永久に眠ってしまうという伝説だ。そこで湖に向かったサンツィオと部下たちは、アンナの死体を見つける。周囲に争った形跡はなく、彼女にも苦悶の表情はなく、眠るような姿勢で横たわっていた。

 この導入部は、見せかけや先入観と内面のギャップを実に巧妙に描き出している。少女と知的障害のあるマリオが一緒に過ごす間に、ささいなことがきっかけとなって、事件が起こることもあり得るだろう。だが、ふたりの性質や感情がまったく逆の方向に振れ、同調したときには、アンナの死体を発見するという恐ろしい出来事が、実際にはあり得ない伝説そのものとなる。

 しかも、この導入部が描いていることは、それだけではない。アンナの存在も、奇妙なコントラストを生み出す。叔母の家を出たマルタが、その前を通り過ぎる家のなかでは、アンナがベッドで寝ている。若い男が彼女を起こそうとするが、彼女は「夢を見ていた、起こさないで」と答える。そのアンナは後に湖のほとりで、われわれが最初に彼女を見たときと同じ姿勢で発見される。

 マルタとマリオのエピソードは、一方にある可能性から逆の方向へと大きく振れる。これに対してアンナのエピソードの場合には、夢のつづきを見ているかのように、湖のほとりに横たわっていることが、そこに至るまでに起こったことの特異性を逆に際立たせる。


◆スタッフ◆
 
監督・原案   アンドレア・モライヨーリ
Andrea Molaioli
原作 カリン・フォッスム
Karin Fossum
原案・脚本 サンドロ・ペトラーリア
Sandro Petraglia
撮影監督 ヴィオラ・プレスティエーリ、ジェンナーロ・マルキテッリ
Viola Prestieri, Gennaro Marchitelli
編集 ジョジョ・フランキーニ
Giogio Franchini
音楽 テオ・テアルド
Teho Teardo
 
◆キャスト◆
 
サンツィオ刑事   トニ・セルヴィッロ
Toni Servillo
キアラ・カナーリ ヴァレリア・ゴリーノ
Valeria Golino
サンツィオの妻 アンナ・ボナイウート
Anna Bonaiuto
マリオの父 オメロ・アントヌッティ
Omero Antonutti
コッラード・カナーリ ファブリツィオ・ジフーニ
Fabrizio Gifuni
アルフレード ネッロ・マーシャ
Nello Mascia
ダヴィデ・ナダル マルコ・バリアーニ
Marco Baliani
アンナ・ナダル アレッシア・ピオヴァン
Alessia Piovan
フランチェスカ ジュリア・ミケリーニ
Giulia Michelini
ロベルト デニス・ファゾーロ
Denis Fasolo
マリオ フランコ・ラヴェーラ
Franco Ravera
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(配給:アルシネテラン)
 

 事件が起こった村は平穏に見えるが、住人たちは、家族をめぐってそれぞれに心が大きく振れている。マリオの父は、息子に対して素直に愛情を表現できない自分を責め、まぶしいほどに健康的なアンナを白い目で見ていた。ところが、そのアンナは不治の病に冒され、余命わずかだったことが明らかになる。導入部で夢を見ているアンナに声をかけたボーイフレンドのロベルトも、アンナを異常なほどに溺愛する父親も、そのことを知らなかった。アンナの姉のシルヴィアは、本当の姉妹ではなく、父親との間に深い溝があった。アンナは、ベビーシッターをしていたアンジェロが事故で死亡してから変わったという。アンジェロの両親は、その喪失を乗り越えられず、離婚して別々に暮らしていた。

 事件を捜査するサンツィオにとって、住人たちの心の振幅は動機を示唆するだけではなく、彼自身にも波及していく。サンツィオの妻は、若年性認知症のために施設で暮らし、娘のフランチェスカとの間には深い溝ができていた。住人たちが背負う過去や現実と、サンツィオが私生活で抱える問題は深く結びついている。だから、彼が真相を究明するために関係者たちを厳しく問い詰めることは、そのまま自分に跳ね返り、彼は自分を見つめることを余儀なくされる。そして、彼が事件を解決することが、私生活に大きな区切りをつけることに繋がっていく。

 豊かな自然に囲まれた美しい風景、透明感と静謐さを感じさせる映像、家族や親子の絆を多面的に掘り下げていく構成、そして心の振幅を炙り出す抑制された演出。そうした要素が一体となり、深みのある人間ドラマを生み出している。


(upload:2010/01/31)
 
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