アンドレア・モライヨーリ監督のイタリア映画『湖のほとりで』は、ノルウェー出身の女性作家カリン・フォッスムのミステリを映画化した作品だ。
これがどんな作品なのかは、ふたつの情報から察することができるだろう。まず、イタリア本国では当初は小さな劇場での公開だったが、口コミで話題が広がった結果、240館以上で公開されることになった。そして、イタリアのアカデミー賞にあたるダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞で、作品賞、監督賞、男優賞、撮影賞、脚本賞、編集賞など、史上最多となる主要10部門を独占した。
この映画には派手さや話題性はないが、心に染み入るような実に深い味わいがある。モライヨーリ監督にとっては長編デビュー作になるが、彼はナンニ・モレッティ監督のもとで長い間助監督を務めてきた。この作品には、その間に培われた経験や磨き上げられた美学が集約されている。
舞台は、近くに山がそびえ、森が広がり、静かな湖がある北イタリアの小さな村だ。その湖のほとりで村に住む美しい娘アンナの死体が発見される。そして、村に越してきたばかりのベテランの刑事サンツィオが捜査を進めていくと、住民たちがそれぞれに複雑な感情を胸に秘めていることが明らかになっていく。
この映画は導入部を観ただけでも、脚本やカメラワークなど、いかに丁寧に、緻密に世界が構築されているのかがよくわかる。まず、小学生の女の子マルタが叔母の家から自宅に向かうが、その途中で通りかかったトラックに乗り込む。やがてマルタの母親と隣人たちが、姿の見えない彼女を探し始め、サンツィオが呼び出される。マルタは、村の外れに住む知的障害のあるマリオと過ごしている。そこには、忌まわしい事件が起こってもおかしくないような不穏な空気が漂う。
結局、マルタは何事もなく戻ってくる。だが、このエピソードは、観客をミスリードするためだけにあるのではない。戻ってきたマルタは、母親やサンツィオに、伝説が本当に起こったと告げる。それは、湖には蛇が棲んでいて、それを見ると永久に眠ってしまうという伝説だ。そこで湖に向かったサンツィオと部下たちは、アンナの死体を見つける。周囲に争った形跡はなく、彼女にも苦悶の表情はなく、眠るような姿勢で横たわっていた。
この導入部は、見せかけや先入観と内面のギャップを実に巧妙に描き出している。少女と知的障害のあるマリオが一緒に過ごす間に、ささいなことがきっかけとなって、事件が起こることもあり得るだろう。だが、ふたりの性質や感情がまったく逆の方向に振れ、同調したときには、アンナの死体を発見するという恐ろしい出来事が、実際にはあり得ない伝説そのものとなる。
しかも、この導入部が描いていることは、それだけではない。アンナの存在も、奇妙なコントラストを生み出す。叔母の家を出たマルタが、その前を通り過ぎる家のなかでは、アンナがベッドで寝ている。若い男が彼女を起こそうとするが、彼女は「夢を見ていた、起こさないで」と答える。そのアンナは後に湖のほとりで、われわれが最初に彼女を見たときと同じ姿勢で発見される。
マルタとマリオのエピソードは、一方にある可能性から逆の方向へと大きく振れる。これに対してアンナのエピソードの場合には、夢のつづきを見ているかのように、湖のほとりに横たわっていることが、そこに至るまでに起こったことの特異性を逆に際立たせる。
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