メルシー・ラ・ヴィ
Merci La Vie


1991年/フランス/カラー・モノクロ/117分/ヴィスタ/ドルビー
line
(初出:『メルシー・ラ・ヴィ』劇場用パンフレット、若干の加筆)

乱暴で愛らしい天使 ―女であることの
豊かさを振りまく新星アヌーク・グランベール

 ベルトラン・ブリエ監督の『メルシー・ラ・ヴィ』に主演しているシャルロット・ゲンズブールとアヌーク・グランベール。この個性的なふたりの女優の素晴しいコントラストは、間違いなくこの映画の見所のひとつになるだろう。

 この映画には、コメディやらロード・ムーヴィー、戦争もの、SFを思わせるタイム・パラドックスなど様々なジャンルが雑多に盛り込まれ、ふたりの娘は、時間の壁や現実と劇中劇、異なるジャンルなど、至る所に出現する境界を飛び越えていく。そうした空間やシチュエーションのめまぐるしい変化は、この娘たちの対照的な存在感を浮き彫りにしていく。

 シャルロット・ゲンズブールは、どんな空間に紛れ込んでも常に“少女”としてそこにいる。これに対して、アヌーク・グランベールは、シチュエーションによって別人のように変化する。少女のように見えるときもあれば、成熟した女であることを痛感させることもあり、男を挑発しまくる娼婦にもなり、また、母親のような母性をにじませることもある。

 ふたりが一緒にいても、シチュエーションによってその関係が違ったものに見えてくるのが面白い。ある空間では、グランベールはゲンズブールと同じような無垢な少女に見え、背景が変われば、ゲンズブールにいけないことを教える悪友になり、彼女に大人の世界を垣間見せる熟女になり、彼女を優しく包み込む母親にもなる。

 変化するシチュエーションのなかで、女であることの豊かさを振りまくグランベールは実に魅力的だ。しかも、常に変化しているにもかかわらず、彼女はこの映画のなかに一貫して“天使”として存在している。そこには、奇妙な転倒があるといえる。

 普通に考えるなら、ゲンズブールのような無垢な少女が天使的な存在になり、世俗に染まったグランベールは、どろどろした人間関係や愛憎に呑み込まれ、身動きがとれなくなっていくところだろう。しかし、この映画のふたりの関係は、それとはまったく逆の力学のなかにある。それがなんとも愉快だ。

 その力学は、冒頭のシーンからすでに表われている。この映画は、花嫁衣裳をまとったグランベールが男に捨てられるところから始まる。彼女の様子をしばらく見ているだけで、男に惚れては捨てられるような関係を繰り返しているような娘であることがわかる。


◆スタッフ◆
 
監督/脚本   ベルトラン・ブリエ
Bertrand Blier
撮影 フィリップ・ルースロ
Philippe Rousselot
編集 クローディーヌ・メルラン
Claudine Merlin
音楽 アルノ、フィリップ・グラス、デヴィッド・バーン他
Arno, Philip Glass, David Byrne
 
◆キャスト◆
 
カミーユ   シャルロット・ゲンズブール
Charlotte Gainsbourg
ジョエル Anouk Grinberg
Emma Thompson
マルク・アントワーヌ ジェラール・ドパルデュー
Gerard Depardieu
若い父 ミッシェル・ブラン
Michel Blanc
年老いた父 ジャン・カルメ
Jean Carmet
若い母 カトリーヌ・ジャコブ
Catherine Jacob
フランソワ ティエリー・フレモン
Thierry Fremont
監督1 フランソワ・ペロー
Francois Perrot
監督2 ディディエ・ベニューロ
Didier Benureau
美男の将校 ジャン=ルイ・トランティニャン
Jean-Louis Trintignant
マルク・アントワーヌの妻 クリスチーヌ・ジャンChristiane Jean
アニー・ジラルド
Annie Girardot
-
(配給:ヘラルド・エース=日本ヘラルド映画)
 
 

 にもかかわらず、カモメがとまったショッピング・カートに乗せられ、だらしなく脚を開いた彼女の姿は、睡眠不足で疲れ、羽根を休めている天使であるかのように軽い。悪い医者にそそのかされて、男たちに病気を撒き散らしても、映画の撮影スタッフを次から次へとたらし込んでも、ぬけぬけと天使的な存在を主張し、悪びれるところがない。

 時間の壁を超え、映画のジャンルを飛び越えるたびに、彼女の前にはどろどろした人間関係、愛と憎悪が待ち受けているというのに、彼女は身軽に浮遊している。男なしには生きられない女、男に従属する女に見えながら、気づかぬうちに男たちを支配し、ファシズムも、くり抜かれた眼球も、エイズ・ウイルスも呑み込んで、平気な顔をしている。

 男たちを引っかきまわし、戦争や歴史を引っかきまわし、そして、なによりも映画の枠組みを揺さぶり、そこから飛び出してしまう。しかも、常に混乱を引き起こしているように見えながら、しっかりとひとりの少女に通過儀礼をほどこしている。こんなどうしようもなく乱暴で愛らしい天使の存在はこれまで見たことがない。

 そんな強引な天使に、「私の愛をあげるわ。女が与えられる限りの愛を!」などという台詞を口にされたら、男たちは誰も拒むことができないだろう。


(upload:2012/06/03)
 
amazon.co.jpへ●
 
ご意見はこちらへ master@crisscross.jp