空気人形
Air Doll  Kuki ningyo
(2009) on IMDb


2009年/日本/カラー/116分/ヴィスタ/ドルビーSR
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(初出:「月刊宝島」2009年10月号「試写室の咳払い」01+「ぴあ映画生活」9月26日更新)

 

 

人形と人間を通して生と死を見つめる

 

 是枝裕和監督の『空気人形』では、性欲を処理するための空気人形が心を持ち、一人歩きを始める。その人形は、町で出会う人間を観察し、人間になろうとする。ところが彼女は、次々に仲間に出会う。それは、他にも心を持った人形たちがいるということではない。

 空気人形が公園で老いた元教師と出会う場面には、人形と人間に対する是枝監督の視点が現れている。空気人形は「私は空っぽなの」と告白する。すると生きる意欲を失い、死を待つ老人が「私も同じだ」と答える。本来ならふたりの言葉が意味することは違うはずだが、この映画はそれを同じと見るところから出発する。

 空気人形の悩みは、自分が空っぽで、誰かの代用品でしかないことだが、彼女が遭遇する人間たちも同じ悩みを抱え、なんとか空虚を埋めようとしている。

 勤務先のファミレスで使い捨て扱いされる人形の持ち主は、生身の人間を拒み、人形とともに従順な恋人との生活という幻想を生きる。過食症のOLは、大量の食べ物を買い込み、自分に詰め込む。老いを痛感する会社の受付嬢は、あらゆる手を尽くして若さを保とうとする。孤独な老婦人は、世間の注目を集める悲惨な事件が起こるたびに、近所の交番に自分が犯人だと名乗り出る。

 人形と人間を同じと見ることで、人形は人間に近づき、人間は人形に近づき、立場が入れ替わる。注目しなければならないのは、双方がどのようにしてもとの立場に戻るかだ。これまでの是枝作品と同様に、この映画でも死が重要な位置を占めている。

 空気人形は、人間が恐れ、遠ざけようとするものを、しばしば喜びとして受け入れていく。彼女は、エアポンプを捨て、老いを受けいれる。では、死はどのように認識されるのか。

 人形が恋する若者が、屈折した心情から人形の空気を抜いてみようとする行為が象徴しているように、大半の登場人物たちには死に対する認識が欠如している。空気人形が死を認識することは難しいが、彼女は愛の喪失を死として受け入れる。

 立場が入れ替わった人形と人間が、死をめぐってもとに戻っていくドラマからは、生を確認するための死が遠ざけられ、表層的な価値観に支配された現代社会の姿が見えてくる。


◆スタッフ◆
 
監督/脚本/編集   是枝裕和
原作 業田良家
撮影 リー・ピンビン
音楽 world’s end girlfriend
 
◆キャスト◆
 
空気人形   ペ・ドゥナ
ビデオ店従業員・
純一
ARATA
ファミレス従業員・秀雄 板尾創路
人形師 オダギリ ジョー
元教師・敬一 高橋昌也
未亡人 富司純子
ビデオ店店長・鮫洲 岩松了
OL・美希 星野真里
受付嬢・佳子 余貴美子
受験生・透 柄本佑
警官 寺島進
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(配給:アスミック・エース)
 

 


(upload:2009/12/07)
 
 
 
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