ラウル・ルイス監督の『クリムト』は、19世紀末から20世紀初頭のウィーンで異彩を放った画家グスタフ・クリムトを題材にしているが、その生涯が時系列に沿って描かれるような伝記映画ではない。ルイスがプルーストの世界に挑戦した『見出された時』を観てもわかるように、彼の映画では、時間が直線的に流れることはなく、現在と過去、そして現実と幻想や妄想が複雑に入り組んでいく。
『クリムト』の物語は、クリムトが死の床にある1918年のウィーンから始まる。彼の脳裏には、過去の出来事が奇妙な夢のように甦ってくる。1900年、クリムトは、恋人やモデル、パトロンというたくさんの女たちに囲まれ、ウィーン社交界の花形となっていた。だが、彼の心の中では孤立感が拭い去りがたいものになっていく。
彼の作品は、パリ万博では金賞を受賞したものの、新旧の価値観がせめぎ合うウィーンでは物議を醸し、助成金を打ち切られ、異端視される。そして、外的にも内的にも抑圧からの解放を求める彼は、パリで出会った美しく謎めいた女優レアに強く惹かれ、その幻影に溺れていく。
この映画では、鏡のイメージにルイスのこだわりが表れている。過去への入口となるのは鏡であり、クリムトとレアを結びつけていくのも巧みに変奏された鏡のイメージであり、鏡を媒介とした独自の表現によって、幻想的な迷宮が作り上げられていくのだ。
クリムトが最初に遭遇するレアは、生身の彼女ではない。パリ万博の会場で開かれたパーティで、映像作家メリエスが作品を上映し、まずスクリーンの中の彼女と出会う。しかもそれは、クリムトとレアの出会いを記録した偽のニュース映画なのだ。クリムトは、その作品の上映後に、メリエスと彼を演じた役者とレアの3人と対面し、偽のニュース映画という虚構を模倣することになる。
そしてその晩、クリムトがレアと再会する時には、彼はすでに鏡の向こう側に引き込まれている。彼は、大使館の書記官と称する謎の男に導かれ、ある屋敷でレアと一夜をともにするが、彼女のパトロンである公爵が、マジックミラーを通してそんな彼を鑑賞している。しかも、公爵の指示でレアはもう一人のレアと入れ替わり、彼はどちらのレアも受け入れる。鏡の中の彼は、クリムトを演じ、実体のない幻影を追い求めているのだ。
ルイスは、クリムトの絵にインスパイアされて、この迷宮を作り上げている。たとえば、クリムトの「愛」では、見つめ合う男女の姿を、背景に描かれた死神や死者が窺い、そこに不安や抑圧を垣間見ることができる。この映画のオープニングのタイトルバックでは、クリムトの「医学」が取り上げられ、カメラは前面に立つ女性をとらえてから、背景に描かれた死者へと移動していくが、これも単に生と死だけを意味しているのではないだろう。
また、パリ万博でメリエスとクリムトが対面するという架空のエピソードも、単に虚構と現実の転倒を演出するためだけに盛り込まれているわけではない。メリエスは、トリックを使った映像表現の先駆者であり、彼にとって映画とは、現実をありのままに映すものではなく、ありえない出来事や夢の世界を描き出すものだった。ルイスの作品には、間違いなくその精神が引き継がれている。 |