ロバート・ゼメキス監督の『フライト』の導入部には、私たちを一気に映画の世界に引き込むような衝撃と緊張がある。前の晩に客室乗務員のカテリーナ・マルケスと盛り上がったパイロットのウィップ・ウィトカーが、コカインで景気をつけ、そのままフライトに臨むとは誰も思わないだろう。
しかし彼はさっそうと旅客機に乗り込む。コックピットの彼にはさすがに疲れの色が見えるが、鮮やかなテクニックで激しい乱気流を切り抜ける。そして、機体が制御不能に陥っても、飛び抜けた判断力を発揮し、奇跡ともいえる緊急着陸を成し遂げる。
この作品には実に多様な要素が盛り込まれている。導入部では、切迫感に満ちたスペクタクルが際立つ。事故後に疑惑が浮上してから公聴会に至る流れに注目するなら法廷劇ともいえる。さらに、ウィップとニコール・マッゲン、あるいはウィップと前妻ディアナや息子トレヴァーの関係に注目するなら、ロマンスやファミリー・メロドラマとみなすこともできる。
しかし最も重要なのは、深刻な問題を抱えたウィップが、それを乗り越えて自分と向き合えるかどうかの葛藤の部分だろう。この映画はそんな心の動きに迫るために、ウィップの立場や視点を中心にドラマが組み立てられている。
但しひとつ例外がある。それはウィップとニコールの関係だ。二人は病院で偶然に出会うが、ニコールはその病院の場面で映画に初めて登場してくるわけではない。冒頭の緊急着陸に至るドラマと並行して、ニコールのドラマも始まっている。薬物依存症に苦しむ彼女の立場と視点は、この映画のひとつのポイントになる。
ニコールは知人の男からドラッグを受け取るときに、打つのではなく吸うように念を押される。ところがアパートに戻ってみると、大家が勝手に部屋に入り込んでいる。そこで一悶着起こり、感情的になった彼女は、転がり落ちた箱から飛び出した注射器の誘惑に負け、病院に担ぎ込まれることになる。もし彼女が言われた通りにドラッグを吸っていれば、ウィップと出会うことはなかった。
しかも、病院でウィップが彼女の連絡先を尋ねたからといって、再会が約束されていたわけではない。病院を退院し、マスコミを避けるように亡父が暮らした農場にこもったウィップは、トリーナを喪った哀しみに苛まれ、家中のアルコールやドラッグを処分する。そんな彼には、ニコールのことを考える余裕などなかっただろう。
ところがその翌日、ウィップはパイロット組合の代表を務める友人のチャーリー・アンダーソンと彼が連れてきた弁護士ヒュー・ラングと会い、自分の血液中からアルコールが検出されたことを知らされ、激しく動揺する。そして、再びアルコールに手を出し、酔って車を運転しているうちにニコールのことを思い出し、彼女のアパートに立ち寄る。自分が刑務所送りになるかもしれないという不安に襲われなければ、再会はなかったかもしれない。 |