ポワゾン

2001年/アメリカ/カラー/116分/シネスコ/ドルビーSR・SDDS
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(初出:『ポワゾン』劇場用パンフレット、若干の加筆)

 

W・アイリッシュの世界と映画化された『暗闇へのワルツ』の世界

 


 マイケル・クリストファー監督の『ポワゾン』は、サスペンス小説の巨匠ウィリアム・アイリッシュが47年に発表した『暗闇へのワルツ』を映画化した作品である。アイリッシュの本名はコーネル・ジョージ・ホプリー・ウールリッチで、彼はコーネル・ウールリッチ、アイリッシュ、ジョージ・ホプリーという名義を使い分けた。

 ミステリ作家として30年代の半ば頃からパルプ・マガジンに短編を発表するようになり、40年代にその才能を開花させた。40年にウールリッチ名義で発表した長編『黒衣の花嫁』を皮切りに、その『黒衣の花嫁』に始まる“黒のシリーズ”、アイリッシュ名義の『幻の女』『暁の死線』『暗闇へのワルツ』、ホプリー名義の『夜は千の目をもつ』など、力作を次々と発表したのだ。

 映画化された作品も少なくない。ヒッチコックの『裏窓』やトリュフォーの『黒衣の花嫁』と『暗くなるまでこの恋を』が有名だが、他にもアメリカのフィルム・ノワールの全盛期にあたる40〜50年代に、数多くの作品が映画化されている。

 アイリッシュ(ここでは便宜的にこの名義に統一する)が、ミステリの歴史のなかに切り開いた独自の世界はいまだに異彩を放っているし、新鮮さも失われていない。しかし、その魅力を短い言葉で端的に表現するのはなかなか容易なことではない。

 たとえば、彼の代表作である『幻の女』を振り返ってみよう。主人公は身に覚えのない妻殺しの容疑で逮捕され、死刑を宣告される。彼は妻が殺害された時刻に、偶然出会った女と過ごしていたが、女は忽然と姿を消してしまう。ふたりを目撃していたはずのバーやレストラン、劇場の従業員は、彼がひとりだったと証言する。そこで、死刑執行の日が近づくなか、主人公の親友や彼の犯行に疑念を抱く刑事が必死で“幻の女”を追い求める。

 この作品には、いわゆる本格推理もののファンを唸らせる鮮やかなどんでん返しと謎解きがあるが、それはアイリッシュの魅力の一部でしかない。それから、死刑執行の日が刻一刻と迫る不安と緊張。このサスペンスの素晴らしさは、彼のもうひとつの代表作『暁の死線』にも通じる。この小説では、ある晩偶然に出会った若い男女が、夜が明けるまでに殺人事件に巻き込まれた彼の無実を証明することを余儀なくされる。各章の冒頭には、時刻を示す時計の絵が挿入され、緊張感を盛り上げる。追いつめられていく人間の克明な心理描写や息詰まる切迫感は、サスペンスの巨匠ならではの魅力が存分に発揮されている。

 しかしそれがアイリッシュのすべてではない。このふたつの小説では、手がかりを求めてニューヨークを彷徨う人物のドラマを通して、都市の夜を彩る風俗や闇にうごめく人々の生態、孤独や不安、欲望などが浮き彫りにされていく。現代では小説の世界で、ノワールやパルプ・ノワールという言葉が持てはやされているが、アイリッシュはそのルーツのひとりだといえる。


◆スタッフ◆

監督/脚本
マイケル・クリストファー
Michael Cristofer
原作 ウィリアム・アイリッシュ
William Irish
撮影監督 ロドリゴ・プリエト
Rodrigo Prieto
編集 エリック・シアーズ
Eric Sears
音楽 テレンス・ブランチャード
Terence Blanchard

◆キャスト◆

ルイス
アントニオ・バンデラス
Antonio Banderas
ジュリア アンジェリーナ・ジョリー
Angelina Jolie
ウォルター トーマス・ジェーン
Thomas Jane
アラン ジャック・トンプソン
Jack Thompson
ワース大佐 グレゴリー・イッツェン
Gregory Itzin
(配給:ギャガ・ヒューマックス)
 


 しかも彼の場合は、リアリズムとともに極めて叙情的な表現を駆使し、現実と幻想の境界を消し去るような独特の雰囲気を醸し出す。『黒衣の花嫁』や『暗闇へのワルツ』で、姿を見せるたびに別人になりきり、男を次々と殺していく女や、男を篭絡する女に読者が魅了されるのは、その独特の雰囲気のなかで、彼女たちが神秘性をまとうからだ。アイリッシュの創造する女たちは、その神秘性の内側に、深い心の傷や哀しみ、孤独を隠し、時として幻を思わせるはかなさを漂わせる。

 こうしたアイリッシュの作品世界は、彼の人生と深く結びついているに違いない。彼は孤独で苦悩に満ちた人生を送り、安息の地を見出すことがなかった。彼は1903年にニューヨークで生まれた。両親は彼が幼い頃に離婚し、彼は鉱山技師の父親とメキシコに移り、その後の十数年間、父親の仕事の関係で南米各地を転々とする生活を送る。ニューヨークに戻り、大学を卒業した彼は、文学の道を志し、作品が注目されたこともあったが、思うような評価は得られなかった。その後、冒頭に書いたようにミステリ作家として成功を収めるが、実生活では母親と二人だけのホテル暮らしを何十年もつづけ、母親亡き後はさらなる孤独に苛まれ、68年に没した。

 そんな人生を送りながら切り開いた世界であるからこそ、アイリッシュの作品はミステリの枠に収まらない輝きを放つのだろう。彼の世界には、孤独の向こうに広がる暗闇への執着やある種のナルシスティックな側面があるが、それは筆者にトルーマン・カポーティを連想させる。『ポワゾン』の原作『暗闇へのワルツ』も、ミステリというよりは、ある愛のかたちを極限まで突き詰めた物語といえる。

 映画には脚本も手がけるクリストファー監督の視点が反映され、原作とは異なる印象を残す。原作のジュリアはぎりぎりのところまで悪女を貫き、ルイスは無償の愛を彼女に注ぎつづける。ジュリアに男の影がないわけではないが、それはおぼろげな存在で、彼女を支配しているわけではない。映画の男女は、本質的には対等である。彼らはそれぞれに男の存在やこれまで培ってきた価値観に支配されているが、裏切りを越えて激しく求め合う愛と欲望が、彼らを解放していくのだ。

 それゆえ結末も違ったものになるが、その対照が象徴的で面白い。詳しくは書かないが、原作のジュリアは最後に初めて神に祈り、自分に下される罰というものを心で感じる。そこには禁欲的な余韻が漂う。一方、映画のジュリアは、具体的な罰が下されるのを待つ立場にある。映画では、捕らえられたジュリアが刑の執行を前に、若い神父にこれまでの出来事を語り出すところからドラマが始まり、最後にまたそこに戻ってくる。若い神父は、罰を受ける女に救いと心の平安を与えるためにそこにいるわけだが、女の告白に耳を傾けるうちに、激しく壮絶な男女の愛と欲望の物語に圧倒されていく。固く結ばれた男女は、信仰をも飲み込んでしまい、自己の欲望に忠実に生きつづけるのである。


(upload:2002/03/03)
 
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