探偵に仕事を依頼した謎の美女が、実は男を破滅に追いやる悪女だったという話はよくある。この時、悪女には過剰な性が宿っているが、それはまた多分に抑圧的な性でもある。セックスという罠を仕掛ける悪女にはどこか冷感症的な雰囲気が漂う一方、破滅を免れようとする男は、過剰な性を封じるためにストイシズムを招き寄せるからだ。
しかし探偵のマックスと助手のラリーは、仕事中でもとにかくセックスを忘れない。ラリーは、マックスの秘書やマックスから匿うように頼まれた娘とも関係を持つ。マックスは、顔見知りの娼婦から情報を聞きだすときには必ず彼女を抱き、ついには依頼人である悪女とベッドインする。そして悪女は歌いながら快楽の極みへと登りつめていく。
そこでは冷感症もストイシズムも覆されるが、個人的にさらに興味深いと思うのは、娼婦も悪女もマックスとのセックスを終えた直後に、悪漢の手先によって口を封じられてしまうことだ。それは物語のうえでは、彼女たちが秘密を握っていたからだが、同時に彼女たちが性的に解放されてしまったからともいえる。
彼女たちのオルガスムスは、この事件の発端であるセックス・スキャンダルやそれをめぐって繰り広げられる抗争を矮小で滑稽なものにしてしまうのである。
その『ミューラー探偵事務所』の続編と見ることもできるこの『ヒーロー・イン・チロル』では、性のエネルギーがさらに力を増している。この映画の軸になるのは、観光化によって田舎町を食い物にしようとする村長一味と彼らから町を守ろうとするヒーロー、マックスのドラマだが、それと並行するように町は性の喜びに目覚めていく。
清楚な双子の娘たちは、入れ代わり立ち代りカスパーに迫り、彼がふらふらになるまでセックスに励む。ヨハネス牧師に想いを寄せていた家政婦はついに彼とひとつになって、神も羨む高みに登る。町の祭りでは、めっぽう酒に強い女がふたりの男たちから精気を吸いとり、町を訪れた若作りの女が美少年のハートを射止める。
マックスはといえば、彼がバルコニーの下で歌うとき、汗を流す半裸のエマの姿に彼らの未来が暗示され、その想いが叶った彼らは、ヨーデルを歌いながら官能の愉悦にひたることとなる。
町を食い物にしようとする一味の悪巧みは、このエロスの力によって打ち砕かれる。さらには、抑圧の象徴と見えた神までもがエロスに味方し、聖職者の妻帯も一夫多妻もありの楽園が現出する。ニキ・リストは、何ともユニークな話術を駆使し、性的な抑圧と解放から導かれるエロスの力を現代によみがえらせることによって、高度消費社会のなかで空虚な幻影と化しつつある欲望と性を挑発する。それが実に痛快であり、また新鮮でもあるのだ。
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