ドイツ映画『es(エス)』の物語は、1971年にアメリカのスタンフォード大学で行われた模擬刑務所の実験がもとになっている。新聞広告に応募し、選ばれた20人の男たちは、大学内に作られた模擬刑務所で看守役と囚人役に分けられ、いくつかのルールに従って2週間を過ごす。報酬は4千マルク。
被験者たちは、最初は模擬刑務所に好奇の目を向け、実験を面白がっている。しかし、規律を象徴する制服と無防備な囚人服、鉄格子を隔てて監視する者とされる者、命令する者とされる者の違いが、彼らにじわじわと影響を及ぼしていく。彼らの人格はそれぞれの役割に取り込まれ、支配と服従をめぐって対立や暴力がエスカレートする。そしてついには、実験という枠組みからも逸脱し、制御不能の危機的な状態におちいる。
しかし、この映画に描かれるのは、ふたつの集団の単純な対立ではない。興味深いのは、双方の集団内部における人間同士の関係だ。まず、どちらの集団からも、与えられた役割を満足に演じられない人間が出てくる。囚人には、出された食事はすべて食べなければならないというルールがあるが、ある囚人は体質の問題でどうしても牛乳が飲めない。これに対してある看守は、その性格ゆえにこの囚人に牛乳を飲むことを強制できない。
するとそこから連帯責任の意識が生まれる。看守のなかで指導力のある人間は、囚人に命令できない看守を積極的に教育する。囚人のなかで指導力のある人間は、牛乳を飲めない囚人をかばい、罰の腕立て伏せを全員でやるように仕向ける。そんな協調性ゆえに、看守も囚人もよりそれらしくなるのだ。
そして集団の結束が固まると、今度は双方の結束を崩すために、協調性では補いきれない個人的なコンプレックスや弱さに対する攻撃が始まる。ここでは体臭がそれにあたる。囚人の指導者から体臭というコンプレックスを攻められた看守は、指導力がないにもかかわらず、というよりも指導力がないからこそ狂気にとらわれた独裁者となり、囚人の弱点や盲点を狙って卑劣な攻撃を仕掛ける。この映画は、ドラマから浮かび上がるそんな集団心理が、実に不気味で恐ろしいのだ。
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