会社をリストラされ、妻からも愛想をつかされた陽介は、師と仰ぐホームレスのタロウから聞いた話を半ば疑いながらも、彼が金の仏像を隠したという家を尋ねて能登半島にある港町にたどり着く。しかし、そこで彼が見つけたのは金の仏像ではなく、ある秘密を抱えた不思議な女サエコだった。
ほとんどセックスから始まるに等しい陽介とサエコの関係には、奇妙で皮肉な可笑しさがある。サエコの身体は男と交わらないと大量の"ぬるい水"が溜まってしまう。それは彼女を悩ます病だが、陽介には彼女の快楽とともに溢れだす水が無上の喜びとなる。交換可能なものとして会社からも家族からも切り捨てられた彼は、そこに自分の存在意義を見出すのだ。
ところが、彼女から溢れる水の量がだんだん減ってくると、今度は陽介の方が悩みだす。彼女が浮気をしているのではないかと気を揉むのだ。実際、彼女の周辺には男の影が見え隠れしだす。
しかし、ふたりを結びつける水は、必ずしも彼女から溢れだす水だけではない。彼女の家の前を流れる川は、淡水と海水が交じり合う汽水にあたり、その水の豊かさが様々な種類の魚を招き寄せている。サエコの母親は、イタイイタイ病が猛威を振るっている時代に、神通川で娘を助けようとして命を落とした。陽介はこの港町で漁師として働きだす。
つまり、川から生還したサエコと海の男になった陽介は、交わりあうことによって汽水にも似た関係を作り上げようとしている。
さらに水をめぐってもうひとつ注目したいのが、イタイイタイ病の原因を作ったかつての神岡鉱山が、宇宙から飛来する素粒子を観測する施設になっているという架空のエピソードだ。サエコと陽介はこの施設を見学に訪れる。そこには、素粒子を受けとめるために、5万トンの超純水を貯えたタンクがある。彼らはその超純水をありがたいもののように感じるが、飲んでみると旨くも何ともない。
人間を蝕む汚染された川の水に、純度は高くても何の旨みもない超純水。この映画では、そんな水のイメージが、汽水の豊かさを際立たせ、汽水にも似た象徴的な男女の関係をいっそう印象深いものにしているのである。
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