第21章 サバーブスからエッジ・シティへ
――続・変わりゆくアメリカの風景


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(初出:東京書籍刊『サバービアの憂鬱』、1993年、若干の加筆)
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 モールがショッピング・センターと大きく異なるところは、商店やレストラン、その他の娯楽施設などが、遊歩道となるゆったりとしたフロアや吹き抜けの空間のあるひとつの巨大な建物(といっても、後に明らかになるような理由で、高層建築になることはまれである)のなかに、機能的に集約されている。そのため、モールに足を運ぶにはクルマが必要になるが、ひとたびモールのなかに入ってしまえば、人は完全な歩行者になるということだ。

 この違いは、これだけの説明ではたいしたことがないように思われるだろうが、後述するようにモールの発展とともにはっきりとした違いが出てくる。

 『Highways to Heaven』ではまず、モールをディズニーランドのようなテーマ・パークに近い空間とし、双方を対比してみることによってその特徴を明らかにしている。

 どちらもアクセスするにはクルマを使うが、ひとたびゲートや入口をくぐってしまえば完全な歩行者となる。モールの場合は、当初は商品の小売によって収益をあげるための空間だったが、現実には買い物に限らず、テーマ・パークと同じように、ある程度の長さの時間をそこで過ごすための空間になっている。しかも、様々な催しや娯楽施設、ファストフードなど、ティーンエイジャーのグループや親子連れなどが、それぞれの目的に応じた楽しみを自由に選ぶことができるのも、テーマ・パークに似ている。

 また、モールは何もかもが新しいように見えるが、興味深いのは、食品の小売店などの場合、全国的なフランチャイズに占領されることはまれで、かつての商店街に軒を並べたような地元の小売業者に復活の機会が与えられているということだ。そうした地元に根ざした部分が広がることもあって、モールは、自動車以前の時代のスモールタウンにいるような効果を与えるという。この効果は、消費者とのあいだに親近感を生み、モールは社交の場となったり、あるいはティーンエイジャーがうろつくのに格好の場所ともなっているということである。

 
《データ》
 
Highways to Heaven: The Auto Biography of America by Christopher Finch●
(Harper Collins, 1992)
 
Edge City: Life on the New Frontier by Joel Garreau●
(Doubleday, 1991)
 
Logic of Television: essays in cultural criticism edited by Patricia Mellencamp●
(Indiana University Press, 1990)
 
The Whistling Song by Stephen Beachy●
(Norton, 1991)

 
 
 

 ここまでがひとつ目のポイントの説明ということになるが、これでショッピング・センターとモールの基本的な違いが明確になったことと思う。

 ふたつ目のポイントは、いまの説明の最後の“社交の場”ともかかわりがあるが、郊外居住者からみたとき、モールがその形態や特徴以上に、どのような意味を持つかということである。

 すでに触れたように、郊外は階級のない、平等な社会を理想としているため、町や住宅の形態、生活様式などがすべて均質化する構造になっている住人たちはコミュニティ精神を培ったり、パーティや共通の趣味にもとづく活動によって、そこに中心が存在するかのようなサークルを作っているが、本質的には中心は存在しない。

 あるいはこのことについては、第8章で取り上げたジョン・アップダイクの『カップルズ』を振り返ってもらってもいいと思う。この小説の登場人物たちは、ある意味で教会にかわる中心を求めるかのように親密な関係を作り上げていくのだが、結局、中心を見出すことなく、というよりも現実に中心が存在しないために、ばらばらになっていくのである。

 このように中心を欠いた郊外の世界に対し、統一性があり、しかも多様な機能を備えたモールの出現といえば、ここでいわんとすることはもう察しがつくことと思う。モールが郊外の新たな中心かどうかということについて、ここで結論を急ぐつもりはないが、これも郊外居住者が、ショッピング・センターではなくモールを受け入れていく手がかりになることだろう。

 それでは、このふたつのポイントを念頭に置いて、モールへの発展を具体的にみていくことにしよう。

■■新しいフロンティアとして発展するエッジ・シティ■■

 先ほど触れたように、取り上げるのはニュージャージー州にある町の例であり、「ワシントン・ポスト」紙の主筆であるジョエル・ガローが91年に発表した『Edge City』を参考にする。

 本書の内容は実に興味深い。アメリカ人はこれまで新しいフロンティアを求めて、都市や生活空間を更新してきたが、タイトルになっている“エッジ・シティ”とは、彼らがたどりついた新しい都市の形態のことをさしている。エッジ・シティはいままさにその数を増し、発展しつつあるという。

 このエッジ・シティの定義を細かく紹介すると長くなるが、本書の第1章の冒頭に、エッジ・シティへの発展過程がとても簡潔にまとめられている部分がある。そこで著者のガローは、エッジ・シティが既成の都市から三つの段階を経て発展したと解説している。

 その第一段階は、第二次大戦後に始まる郊外化である。これによってまず、住空間が都市の伝統から離れることになった。次に、生活に必要なものを求めて都市に足を運ぶという不便を解消するために、マーケットも居住空間に移った。この第二段階は、アメリカのモール化と表現され、特に60年代から70年代にかけて進んだという。第三段階は、まさに現在であり、ついに仕事が職場が住と消費の空間に移されることになった。ガローは、この第三段階に入った新しい空間をエッジ・シティの出現としているのである。

 ただしもちろん、現実はそれほど単純ではない。たとえば、第一段階の郊外住宅地がどれも次の段階へ進めるかといえば、これは無理な話である。仮に均質化へと向かう構造を持っているある郊外住宅地が、すでに十分に開発されているとするなら、巨大なモールやオフィスを作るための大規模な再開発は不可能に近いからだ。そこでエッジ・シティは、郊外化が進んでいる都市の周縁のなかでも、より“へり(エッジ)”に近い地域で、しかも幹線道路が交差するような要所で発展していくことになる。

 この『Edge City』には、アメリカの大都市から様々な過程を経て脱皮し、発展するたくさんのエッジ・シティの実例があげられている。そのなかで、ニュージャージー州のある町の例を取り上げてみたいと思ったのは、そこにエッジ・シティが発展してきた経緯から、都市や郊外、モールに対する住人たちの意識が、くっきりと浮かび上がってくるからだ。

 その町というのは、ニュージャージー州のなかで、287号線と78号線という2本の州間高速自動車道が交差する場所に位置するブリッジウォーター・タウンシップである。この町に再開発の話が持ち上がったのは60年代末のことだったが、最終的にモールを中心とした計画がまとまり、この町に敷地面積が270平方キロメートル以上という巨大なモール、ブリッジウォーター・コモンズがオープンしたのは、それから20年近くもたった88年のことだった。

 そのあいだには、開発業者と住民の意見の食い違いや駆け引きがあったのだが、このやりとりはいろいろな意味で興味深い。

 まず注目しておきたいのは、このブリッジウォーター・タウンシップの住人が、ニュージャージー州のなかで既成の都市というものの歴史をまったく持たない地域を、最初に作り上げた人々だったということだ。つまり彼らは、郊外化の先頭に立って理想の町を作った人々だということになる。

 しかしながら、その理想にも誤算がなかったわけではない。先ほどこの町では、60年代に再開発の話が持ち上がったと書いたが、これも町のかかえる問題とかかわりがある。この問題の発端は、郊外化の初期にまでさかのぼる。というのも、この町の中央にある土地は、都市から離れる人々をできるだけ多く受け入れるために、あまりにも細かく区画整理され、結果的には狭くてまともに家も建てられない宅地になってしまったのだ。そこで、この土地は草ぼうぼうの状態で眠っていたわけだが、これは先の見えない郊外化の初期ならではの過ちといっていいだろう。

 ところがこの土地は、不動産業者の目から見ると“黄金の三角地帯”になっていた。というのも、先ほど触れた州間高速自動車道の287号線と22、202〜206号線という2本の国道に囲まれる場所んひ位置していたのだ。そこで60年代末に開発業者が、この土地のなかの22号線沿いの地域をまとめて整地し、そこにショッピング・センターを建設する計画を進めだしたというわけだ。

 この計画を発端に、開発業者と住人との時間をかけた駆け引きが始まる。先述したように、住人は、かつて郊外化の先陣を切り、住空間に対する意識を明確に持っているだけに、この駆け引きからは、彼らの過去に対する反省や現在の理想などが、くっきりと浮かび上がってくる。

■■郊外居住者が求める中心と自由を体現するモール■■

 まずショッピング・センターの計画は、住人の強い反発にあって、立ち消えとなった。反対の理由については、住人のコメントがそのまま紹介されているが、それをまとめると、彼らにとってショッピング・センターは安っぽい歓楽街であり、悪夢といえるほどに醜悪なものだということになる。またこの町は、かつてショッピング・センターの開発が進められたことがあるが、そのとき住人たちが勝ち取ったものは、店の表にネオンのたぐいを出すのを禁じる条例だったという。ショッピング・センターは、郊外の統一性のある景観をだいなしにするものなのだ。

 それから、これはショッピング・センターと直接関係しているとはいえないが、反対の背景には別な理由もある。つまり、ブリッジウォーター・タウンシップの住人たちは、開発に際して町の中心となるものを求めていたということである。彼らは“タウンシップ”という法的な単位によって区切られた町のなかに暮らし、しかも、もはやいうまでもないが、同じ階層に属してはいるものの、もともとは何のつながりもなかった隣人同士だった。そこで、この形式に頼ったような町や住人のつながりを、もっと活性化することができるような中心を求めていたわけだ。

 結局、この住人たちは、ショッピング・センターにかわる計画を求めて「ウォール・ストリート・ジャーナル」に広告を出し、開発業者に大規模な再開発計画を募ることになる。そして、彼らのもとには37の安が寄せられるのだが、なぜ大規模な再開発でなければならないのかということの背景からも、住人たちの町に対する理想の一端が浮かび上がってくる。

 住人たちは、大規模な開発工事を委託する見返りとして、企業側の負担で周辺の道路の改善を計画に盛り込むという条件を出した。ただし、道路の改善といっても半端な工事ではない。開発予定地をとりまく幹線道路を立体交差にするということだ。その理由は、住人たちが毛嫌いする信号を町から駆逐したいということだった。これもまた、既成の都市に対する反発といっていいだろう。そして、この希望を実現可能なものにするためには、企業にとってはよほど魅力的な計画、つまり総合的な開発が必要になったというわけだ。

 そこで、町に寄せられた再開発計画案は、ふるいにかけられていく。駐車場のスペースを大きくとろうとしたある案は、町の中心から緑を奪い、環境を悪化させ、町の質が落ちるということで退けられる。それから、この黄金の三角地帯に最大限の緑を確保するために、ホテル、会議場、小売店の店舗などを15、6階建てのビルに集めてしまうという計画も受け入れられなかった。当時の町長のコメントは、「高層ビルは望ましくない。都市を思い出してしまうからだ」というものだった。

 この町の住人たちが、もともと60年代末の時点から望んでいたのはモールだったようだが、こうしたやりとりによる再確認を経て、住民投票も行い、作り上げられたのが、先ほど少し説明した広大なモール、ブリッジウォーター・コモンズである。3階からなる建物は、開発を請け負った企業の負担による総工費2300万ドルの立体交差に囲まれ、シェラトン・ホテルにふたつの巨大なオフィス・タワーを備えているという。====>3ページに続く


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