第20章 エスケープ・フロム・サバーブス―『サムシング・ワイルド』、『トラック29』、『アラクノフォビア』

サムシング・ワイルド/Something Wild――――――――――――1986年/アメリカ/カラー/113分/ヴィスタ/ドルビー
愛されちゃってマフィア/Married to the Mob―――――――――-1988年/アメリカ/カラー/103分/ヴィスタ/ドルビーSR
トラック29/Track 29―――――――――――――――――――1987年/イギリス/カラー/90分/ヴィスタ/ドルビー
アラクノフォビア/Arachnophobia――――――――――――――1990年/アメリカ/カラー/109分/ヴィスタ/ドルビーSR
ストレート・アウト・オブ・ブルックリン/Straight out of Brooklyn――1991年/アメリカ/カラー/83分/ヴィスタ
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(初出:東京書籍刊『サバービアの憂鬱』、1993年、若干の加筆)
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■■妄想によって出口を見出していくヒロイン■■

 次に取り上げるニコラス・ローグ監督の『トラック29』(87年)は、テーマとしては、前の章とこの章にまたがる作品だといえる。つまり、郊外居住者の妄想があり、そして郊外からの脱出があるということだ。

 映画の舞台は、ノース・カロライナにある幹線道路沿いの郊外住宅地。周囲は、建ち並ぶ家々とプール、クルマ、そしてファミリー・レストランの世界である。この映画で、妄想にとらわれ、そして郊外からの脱出を果たすのは、夫とふたりで暮らしている主婦のリンダだが、夫婦のそれぞれのキャラクターとふたりの関係はなかなか面白い。

 夫のヘンリーは、老人病院に勤める医師で、鉄道模型のマニアである。それも半端なマニアではなく、熱中するあまり、寝室や風呂場の壁までぶち抜き、自分の世界を作り上げている。この夫の姿を見て、筆者の頭にすぐに思い浮かんできたのは、同じように鉄道模型に凝っていた『未知との遭遇』の電気技師である。このふたりは、成長を拒絶しているのか、退行しているのか、とにかく幼児的な部分があり、鉄道模型の完結した世界を、現実から目をそむけたり、自分を守ったりするための防壁にしている。




―トラック29―



◆スタッフ◆

監督   ニコラス・ローグ
Nicolas Roeg
脚本 デニス・ポッター
Dennis Potter
撮影 アレックス・トムソン
Alex Thomson
編集 トニー・ローソン
Tony Lawson
音楽 スタンリー・マイヤーズ
Stanley Myers

◆キャスト◆

リンダ・ヘンリー   テレサ・ラッセル
Theresa Russell
マーティン ゲイリー・オールドマン
Gary Oldman
ヘンリー・ヘンリー クリストファー・ロイド
Christopher Lloyd
アーランダ コリーン・キャンプ
Colleen Camp
ステイン サンドラ・バーンハード
Sandra Bernhard
Dr.バーナード シーモア・カッセル
Seymour Cassel

(配給:シネセゾン)
 
 


 一方、妻のリンダはといえば、単調で退屈な生活のなかで、子供が欲しいと思っているが、いま説明したように夫に完全に無視されている。そんな彼女は、夫の鉄道模型に対抗するかのように、部屋にずらりと人形を並べている。

 ニコラス・ローグは、物語ではなく映像で表現するタイプの監督だが、この映画の場合は、一見すると平穏にみえる家庭の水面下で、夫婦それぞれの感情が凝縮された鉄道模型と人形たちが、激しくせめぎあっているといってよいだろう。但し、もっと厳密にいえば、夫の鉄道模型が揺るぎないのに対し、妻は、増殖する鉄道模型の世界に埋没するか、人形に踏み止まるかの瀬戸際に立っている。

 この映画は、そんなふたりのほとんど二日に満たないドラマを描いているが、その間に、夫婦はそれぞれに、お互いの関係について、大きな決定を下すことになる。夫は、子供のことで彼を現実に引き戻そうとする妻を見限り、どこまでも鉄道模型の世界に順応してくる病院の看護婦を選ぶ覚悟を決める。

 一方、瀬戸際に立つリンダは、これまで何もなければ、おそらくは鉄道模型になびいていただろうが、彼女の過去のトラウマが彼女を人形へと傾かせ、ある意味では、その人形に生命を吹き込むことになる。その過去のトラウマは、物語の展開とともに明らかになっていくが、実は彼女は、若い頃にある過ちから妊娠し、生まれた子供が、彼女の両親の手でどこかに里子に出されるという苦い経験をしていた。

 映画では、そんな彼女の前に、イギリスから母親を探しにきたという若者が現れる。彼は、夫が仕事に出ている間に家に上がりこみ、リンダを現実とも幻想ともつかない世界へと引き込んでいく。過去のトラウマが、動きのとれない退屈な世界のなかに、妄想を作り上げていくのだ。

 そして、この妄想的な世界のなかで、若者は、鉄道模型を壊し出す。そのイメージもまた、『未知との遭遇』を想起させる。というのも、電気技師は、UFOと遭遇してから、あるイメージが脳裏に焼きつき、自分の世界である鉄道模型を潰し、その上に奇妙な岩山を築き出すからである。『未知との遭遇』では、この岩山が、電気技師が郊外から別の世界へと旅立つきっかけになる。『トラック29』でも、鉄道模型を壊すことが、同じようなきっかけになる。但しそれは、自分のではなく、夫の鉄道模型だが……。リンダは、妄想のなかで決定的な既成事実を作り上げ、郊外の生活からの脱出を果たすのである。

 

■■郊外からジェントリフィケーションが進む都市へ■■

 この章では、ジェフ・ダニエルズが主演した映画を2本取り上げると書いたが、もう1本は、フランク・マーシャル監督の『アラクノフォビア』(90年)である。この映画については、作品を掘り下げてみたいということではなく、ほとんど『ジョーズ』の焼き直しでありながら、結末が違うところが印象に残ったので取り上げることにした。この作品は、スピルバーグが製作総指揮にあたり、ともにスピルバーグ・ファミリーであるキャスリーン・ケネディが製作に、マーシャルが監督を手がけた毒グモ版『ジョーズ』である。それは、ストーリーを簡単に説明しただけでも、おわかりいただけるだろう。

 この映画の主人公、医師のロス・ジェニングスは、妻とふたりの子供を連れてサンフランスシコの都会を離れ、カリフォルニアの小さな町カナイマへとやって来る。両親は、子供を育てるのに理想的な環境として、この町を選んだというわけだ。

 この映画で特に『ジョーズ』の焼き直しを感じさせるのは、主人公ロスのキャラタクターである。実は彼は、クモ恐怖症(アラクノフォビア)であり、せかっくの自然に囲まれたではあったが、納屋や地下室に張っているクモの巣は、彼にとって苦痛以外の何ものでもなかった。『ジョーズ』で水を恐れる警察署長が、海辺の町に転居してきたように、クモ嫌いがクモの巣のあるところにやって来るのである。

 そして、巨大なサメの代わりになるのは、南米産の攻撃的で猛毒を持ったクモだ。そのクモが、南米の探検で死亡したカメラマンの死体に潜んでこの町に紛れ込み、地元のクモと交わって異常繁殖し、町をパニックに陥れていくことになる。

 これはまさしくクモ版『ジョーズ』だが、先述したように結末は違う。この主人公一家は、結局、都会に戻っていく。美しい都会のイルミネーションを見下ろす高層マンションの一室で、主人公の夫婦が乾杯するところで映画は終わるのである。

 


 
―アラクノフォビア―


◆スタッフ◆

監督/製作総指揮   フランク・マーシャル
Frank Marshall
製作総指揮 スティーヴン・スピルバーグ
Steven Spielberg
原案 ドン・ジャコビー、アル・ウィリアムズ
Don Jacoby, Al Williams
脚本

ドン・ジャコビー、ウェズリー・ストリック
Don Jacoby, Wesley Strick

撮影 ミカエル・サロモン
Mikael Salomon
編集 マイケル・カーン
Michael Kahn
音楽 トレヴァー・ジョーンズ
Trevor Jones

◆キャスト◆

ロス   ジェフ・ダニエルズ
Jeff Daniels
モリー ハーレイ・ジェーン・コザック
Harley Jane Kozak
アサートン博士 ジョリアン・サンズ
Julian Sands
デルバート ジョン・グッドマン
John Goodman
保安官 スチュアート・パンキン
Stuart Pankin
クリス ブライアン・マクナマラ
Brian McNamara
ジュリー マーク・L・テイラー
Mark L. Taylor

(配給:ワーナー・ブラザース)
 
 

―ストレート・アウト・オブ・ブルックリン―

※スタッフ、キャストは
『ストレート・アウト・オブ・ブルックリン』レビュー
を参照のこと
 
 


 75年の『ジョーズ』とこの『アラクノフォビア』との結末の違いには、都市と郊外(あるいは非都市圏)をめぐる状況の変化が反映されているようにも思える。というのも、特に80年代に入ってから、都市部では、ウォーターフロントなどの再開発やジェントリフィケーションが進み、都心部の人口が増加する傾向が出てきたからである。ちなみに、この映画の一家は、サンフランシスコに戻るのだが、そのサンフランシスコも、ジェントリフィケーションが進んだ都市のひとつに数えられている。

■■郊外に逃避するのではなく、都市をたてなおそうとする姿勢■■

 都市/郊外と黒人との関わりについては、これまで第6章、第9章、第18章で触れてきたが、ここでは、黒人監督マティ・リッチの19歳の記念すべきデビュー作『ストレート・アウト・オブ・ブルックリン』(91年)を取り上げ、最も現在に近い状況にスポットをあててみたい。この映画の舞台は、郊外ではなく、ブルックリンにあるレッドフック低所得者用住宅である。主人公は、この住宅に暮らす若者のデニスで、物語は彼とその一家をめぐって展開していく。

 ガソリン・スタンドで働くデニスの父親は、家族を悲惨な生活から救うことができないジレンマのなかで、白人社会を憎悪し、自らの不甲斐なさを忘れようとアルコールに頼り、週末ともなると妻に当り散らす日々がつづいている。母親は、職安に通い、臨時の仕事をもらう毎日を送っている。主人公のデニスは、そんな生活のなかで、映画のタイトルが示すように"ブルックリンからおさらばする"ことを夢見ている。

 しかし、どうにも出口を見出すことができない彼は、ヤクの売人の金を強奪してしまい、その結果、家族を争いに巻き込み、崩壊させていくことになる。監督のマティ・リッチは、そんなドラマを、見る者が逃げ場を失うような生々しいリアリティで描き出していく。

 ここで、郊外から最も遠いこのような作品を取り上げるのには、それなりの理由がある。ひとつには、これが迫真のリアリティだけの映画ではなく、"ストレート・アウト・オブ・ブルックリン"というタイトルには、痛烈な皮肉が込められているということだ。つまり、この映画には、出ていくことばかりで頭がいっぱいになって、強盗をはたらき、家族を崩壊に追いやるくらいなら、とっとと自分の足元を見ろという前向きなメッセージが込められているのだ。

 この映画の資金は、リッチ自身がブルックリンのラジオ局を訪れ、黒人の投資家を募ったところ、1万ドルあまりの金が集まり、製作が進行することになった。彼はラジオを通して、中流化した黒人たちが郊外に流出していくことによって、いっそう悲惨な状況に陥っていくゲットーの状況や問題を批判した。「なぜ、つくるのではなく、出ていかなければならないのか」、「なぜ、ここにとどまって、自分たちの庭をつくることができないのか」と彼は訴えたのだ。彼の主張からは、ジェントリフィケーションとは似て非なる都市への視点が浮かび上がってくるのだ。

 そして、ここでこの映画を取り上げたもうひとつの理由は、映画の向こうにあるリッチの実体験に、"エスケープ・フロム・サバーブス"に近い足取りを見ることができるということだ。

 リッチは、実際にレッドフック住宅で少年時代を過ごし、父親はアル中で暴力を振るったという。映画と違うのは、母子が、母親の判断で、レッドフックを出て生活する道を選んだということだ。ところが、仲間が残っている町を忘れられないリッチは、頻繁にレッドフックに戻ってきた。彼がこの映画を作る決意を固めたのも、町に戻った彼が、バイクを盗んだ友人が刑務所で死亡するという事件に遭遇したことがきっかけだった。

 つまり、彼は、ひとたび外に出たにもかかわらず、あるいは、それゆえに、都市をたてなおそうというメッセージにたどりついたのである。

 ところで、この章は、ジョナサン・デミの作品から話が始まったが、ここで再び彼の名前が出てくる。というのも、リッチのこのデビュー作に、デミが少し絡んでいるからだ。『羊たちの沈黙』の編集作業中に、デミは、別の編集ルームで作業を進めるリッチと知り合った。この若き監督と親しくなったデミは、ポストプロダクションの資金調達が可能な会社をリッチに紹介したという。しかも、デミは、生まれたばかりの自分の子どもに、この映画にちなんで"ブルックリン"という名前をつけたという。都市の活力を魅力的に描くデミと都市をたてなおそうと訴えるリッチ。これはまさに、人種や階層を越えた出会いといってよいだろう。


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(upload:2006/07/01)

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《関連リンク》
サバービアの憂鬱 第21章 サバーブスからエッジ・シティへ ■
ジョナサン・デミ・インタビュー
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