第8章 アメリカン・ファミリーの亀裂

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 この小説ではこんなふうに、あらかじめつくられた理想としての郊外ではなく、まずある程度自分の居場所をわきまえている登場人物が、どのような理想を郊外に植えつけようとしているのかが具体的に描かれている。しかもその理想がどこから生まれてくるのかということが、伝統、世代、階級、政治や経済の状況といった背景をふまえて、克明に描かれている。それだけに多様な見地から読み解くことができる。たとえば、作家研究シリーズの一冊として『John Updike』を書いたジュディ・ニューマンは、その本のなかで『カップルズ』の登場人物たちを、ホワイトの『組織のなかの人間』やハーバート・マルクーゼの『エロスと文明』などを引用して論じている。筆者は、登場人物がいかに多くても、彼らの微妙な価値観の違いが巧みに描き分けられ、化学変化のようにコミュニティを変えていくところが面白いと思う。

 コミュニティの基礎をつくったアップルビイ家とスミス家は、まず57年にやって来た「大学出という以外に取り柄のない」サルツ家やオング家と交際をもつようになる。そしてその翌年にやって来たハネマ家とギャラガー家はコミュニティに変化をもたらす。

 そんなところへ、二人の新顔の女性テリー・ギャラガーとアンジェラ・ハネマとが、一つのスタイルを持ち込んだ。つまり、いたって無頓着な愛想のよさである。他の女たちはそこから何気ない楽しそうな調子しか真似ることができなかったけれども、ともかくそのおかげで、お互いに愛想を言いあっている肩のこるパーティの雰囲気をやわらげることができた。

 こうした変化のなかで、夫婦どうしを隔てる境界がしだいに希薄なものになっていく。そのために物語が情事やスワッピングに結びついていくわけだが、それが単なる欲望や孤独から導かれるのではなく、背景にあるさまざまな力が組み合わさって彼らに作用し、ゲームの駒のように彼らを動かして、そうした状況をたぐりよせてしまうところに、この小説の奇妙な魅力がある。たとえば、この小説の数多い登場人物のなかでも中心的な存在である建築家のピエット・ハネマが、複数の女たちとの情事にはしるのも、必ずしも妻のアンジェラとの関係が冷えているからということにはならない。

 彼がどういう人間かというと、まずオランダ系のアメリカ人で、「世界のうちどれだけの区画を所有しているのかというオランダ人らしい堅実な意識は、敷地が道路から二百フィートひっこんでいて、町の中央から一マイル、海から四マイル離れていることですっかり満足していた」というような性格づけがなされている。しかし一方では、「ハミルトン家の一員だったアンジェラと結婚したせいでこの町でうけいれられているだけなのだ」というように、自分の根無し草的な立場に以前からコンプレックスを抱いている。また彼は、同じコミュニティのオング夫妻についても、「(彼らが)ターボックスに住んでいるということは、ピエットがここにいるのと同じで、偶然のことだった」というように感じているし、「友だちは、みんなワイフの友だちときてる。おれは孤児で宿無しさ」とも語っている。

 世界のうちでどれだけの区画を所有しているかという意識と、根無し草的なコンプレックスが共存するピエットは、人間関係の境界が希薄になっていく世界のなかで、自分が確実に所有するものの実感を求めて、ということは、自分を捜し求めてということになると思うが、希薄な境界を次々に越えて、ついにはコミュニティから逸脱してしまう。彼が境界を求めれば求めるほどそれは失われていくのだ。

 
 


 ところでこの小説では、最初にターボックスの町の様子を綴る部分で、何度かの修復を経てむかしの面影をとどめる教会が象徴的に描かれている。そして、この教会は物語の終盤で、落雷のために焼失してしまう。『組織のなかの人間』でホワイトは、新しい郊外居住者たちは、教会にかわる新しい中心を求めていると語っているが、この作品にも同じような台詞がある。それはアンジェラが、(コミュニティのなかでいつもピエットに対して挑発的な態度をとる医師)ソーンの意見をピエットに披露するこんな台詞だ。

「私たちは一つのサークルだっていうふうにあの人は考えているのよ。夜を追い出すための魔法のサークルなのね。私たちの顔を見ずに週末が過ぎると、わるいことでもしたようにはっとするといっていたわ。私たちはおたがいのための教会をつくってると思っているのね」

 たしかに新しいコミュニティも信仰と同じように、深く入り込めば入り込むほど人々の境界がなくなってひとつになっていく。しかし決定的に違うのは、外のさまざまな力がつくりあげたコミュニティには中心が存在しないということだ。チーヴァーの『ブリット・パーク』では、教会におけるネイルズとハンマーの対決がクライマックスとなったが、このコミュニティという教会からピエットが去り、そして本物の教会が焼失するという『カップルズ』の結末は、なにかやはりひどく象徴的である。

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 この章の最後に1本、映画を取りあげたいと思う。ニューシネマの代表作に数えられるフランク・ペリー監督の『泳ぐひと』(68年)である。なぜこの作品を取りあげるかといえば、映画の原作がジョン・チーヴァーの代表的な短編「The Swimmer」であるからだ。原作の短編は、作品の質が高いのはもちろんだが、まず何よりも物語を展開していくためのアイデアが非常に面白い。短編ではあるが、映画化するにあたってイマジネーションがどんどん広がっていくような作品なのだ。そのアイデアは、映画が始まってしばらくすると見えてくる。舞台はいうまでもなく郊外の世界だが、すこし説明を加えると、国道沿いの丘陵の緑のなかに家々が点在するといった風景が背景になっている。

 『泳ぐひと』は、主人公ネディ(バート・ランカスター)が、幼なじみの友人の家のプールに姿を見せるところから始まる。その友人夫妻は前の晩にパーティを開いて痛飲した様子で、プールサイドのチェアに寝そべり、迎え酒のマティーニをあおっているところだ。ネディは最初から水着姿でプールに現れるが、彼がそのようなかっこうでどこからやって来たのかということは説明されない。そして友人との会話から、むかしは彼らが付近の川でよく泳いだものだが、いまではプールで泳ぐことすらまったくなく、週末には決まったようにパーティを開き、同じ話題とジョークで過ごすような生活を送っていることがわかってくる。

 そこでプールの話題から、ネディは奇妙なアイデアを思いつくのだが、それが原作の短編と同じようにこの映画の物語を展開していくことになる。奇妙なアイデアとは、その友人の家から、まだ自然が残る山間に線でつながるように点在する友人たちの家を訪ね、彼らのプールで泳いで、国道の向こうの丘の上にある自分の家まで帰ろうというものだ。点在する友人の家のプールを川に見立て、“泳いで”家に帰るというわけだ。もちろん、小説や映画のタイトルもここからきている。

 こうして主人公ネディは、妻の名前をつけたプールの連なりである“ルシンダ川”の源流に向かってさかのぼっていく冒険家となり、郊外に暮らす友人たちの家庭に、いつもとは違ったかたちで接していくことになる。そしてこの映画を観る人間も、主人公の視点をとおしてさまざまに歪んだ郊外の家庭を目撃することになる。これがさきほど書いたイマジネーションが広がるアイデアということだ。実際、映画では、主人公が訪問する家の数が原作よりも増やされている。

 主人公の旅の出発点となった家は、すでに書いたようにパーティに明け暮れている家庭だった。2番目の家には、プールを何より誇りにしている夫妻が暮らしている。彼らのプールはたいへんな費用をかけて濾過装置がつけられ、不純物がほぼ100パーセント取り除かれている。飲料水よりもきれい水が自慢で、おそらく彼らがそのプールで泳ぐことはないだろう。3番目の家では、友人の母親が彼を出迎え、友人が病死したことがわかる。ネディは見舞いにも来なかったことをなじられ、庭から追い払われる。この主人公はどのくらい友人たちと会っていなかったのか、そんな疑問ももたげてくるが、映画はそんなことを説明することもなく旅が進行していく。

 4番目の家では、プールで遊んでいた友人の娘に出会う。ネディはむかし、彼女にベビーシッターを頼んでいたが、いまでは彼女は20歳になっている。彼は娘をこの“ルシンダ川”の冒険旅行に誘い、彼女が同行することになる。5番目の家はパーティの真っ最中で、主人はプールに浮かんだマットに座り込んで、酔いつぶれている。ふたりは誰が誰だかわからないような速さで次々と挨拶をすませ、家を後にする。そしてこの道中で、むかし娘が彼に憧れていたことを告白される。それを聞いた彼の心には、男とも父親ともつかない混乱した愛情が芽生えてくる。しかも彼女のいまの恋人は、質問と3ドルを送ってコンピュータで選んだという話を聞かされるに及んで、彼は娘のことをほおっておけない気持ちになる。しかし、彼のなかに男をみた娘は、恐れを感じて彼のもとを去っていく。

 6番目の家では、年配のヌーディストのカップルが彼を迎え、ネディもそのしきたりにしがたって水着をとり、全裸でプールを拝借する。7番目の家では、少年がひとり、遊びでレモネードの売り子になって、道端で笛を吹いている。母親は“新婚旅行中”で、父親はその母親の言葉によれば美容師と恋愛中ということで、少年は家政婦とふたりで過ごしているのだという。プールを覗くとそこには水がなく、枯れ葉がたまっている。少年が泳げないために、水が抜いてあるのだ。ネディが水のないプールのなかで少年に泳ぎを教え、ふたりで端から端まで泳ぐ姿はひどく寒々しい光景である。

 8番目の家ではまたもパーティが開かれ、主人はアルミとガラスでできたプールのドームを自慢にしている。9番目の家では、女がひとりでプールサイドのチェアにかけている。主人公と女のやりとりから、ふたりは以前、愛人関係にあり、彼のほうから手を切ったことがわかる。彼は、女との関係を修復しようとするが、冷たく突き放される。

 こんなふうにして、主人公の旅からは郊外の生活で歪んでしまった家族の姿が次々と浮かび上がってくる。しかしそれだけではなく、主人公の旅には結末への伏線となるようなイメージや細かなエピソードも盛り込まれている。

 まず主人公にバート・ランカスター(というよりも彼の肉体といったほうがいいかもしれない)が起用されているのは、それなりの意図があってのことにちがいない。さきほどこの主人公は水着姿でどこからやって来たのかということは説明されないと書いたが、クレジットが浮かぶこの映画の冒頭の背景には、人工物がまったくない完全な自然の風景が延々と映しだされる。木々がしげり、川が流れ、野ウサギや鹿もいる自然の風景である。その川の水が気づいてみるとプールの水に変わり、第1の家につながっていくのだ。そういう意味では彼はターザンのようなヒーローのようにもみえる。映画のなかには、この主人公が馬と競争したり、娘の前で馬のための障害を飛び越してみせるシーンがあり、馬のイメージとダブらせることによって主人公の野生の魅力が強調されている。あるいは、郊外のコミュニティに埋没することを嫌うプロテスタント的な価値観を背負った個人主義者のようにもみえる。

 しかし一方では、この“ルシンダ川”の旅のなかで、たくましい肉体を誇示する主人公の存在は危ういものにもみえてくる。5番目のパーティでは、ネディに就職先の世話をしようとする男が現れたり、6番目の家では、ネディが現れるとヌーディストの夫婦は、金を借りにきたのではないかと心配する。8番目のパーティでは、ネディが自分のものであったワゴンを見つけ、主人と争いになる。その家の主人は、慈善市でそれを手に入れたのだという。

 そしてさらに結末の一歩手前で、ふたつの面を与えられた主人公は、郊外よりも広い視野のなかに踏み込んでいく。家に向かう旅の途中にある最後のプールは、彼の友人のプールではなく公営のプールなのだ。しかも彼は、入場料の50セントを払うことができず、偶然出会った知人に借りてなんとか入場する。プールの係員は彼に対して敵意をあらわにし、シャワーを浴びて足をきれいに洗うように命じ、足の指の間まで検査してから彼をとおす。プールはひどく混雑し、彼は人をかきわけるようにして反対側まで泳ぎ着く。そしてプールからあがってみると、そこで入場料を貸してくれた夫婦とその友人夫婦に出くわす。彼らは町の商店の人々で、ネディとの会話から彼らに借金があり、すでに踏み倒したも同然になっていることがわかる。また、ネディの自慢の娘たちがもうすこしで新聞ざたになるようなことをしでかしたり、陰で父親の悪口をいっていたことなどもわかってくる。

 この公営プールとそれまでのプールのコントラストは実に印象的だ。一方は最高の濾過装置やドームがついたプールだが、誰も泳ぐものは見当たらない。一方、公営のプールはといえば、ひどい混雑のために泳ぐことができない。この2種類の機能しないプールは、ある意味で郊外と都市の関係をも暗示している。そしてもし主人公が郊外居住者であれば、借金は別としても、公営プールで敵意のある目で見られるのも不思議なことではないだろう。

 映画のラストは、彼が疲れきってわが家に帰りつくシーンである。そのわが家の門はすでに錆びつき、自慢のテニスコートには枯れ葉がつもり、もちろん家のなかは空っぽである。ヒーローにも見えた主人公は、実は経済的にも、また家族の絆という意味でも、破綻した男だったということになる。そして、現在へと向かうように見えた彼の旅は、実は過去をたどる旅だったのである。

 このシュールで悲劇的な結末は、伏線がきいているだけに複雑である。彼は現実を見失い、破綻をきたした軽蔑すべき郊外居住者であるようにみえる一方で、郊外のコミュニティに埋没して自分を見失うことを拒む、失われつつあるアメリカ的な価値観を信奉する誇り高きヒーローのようにもみえるからである。この映画では、そんなふうに引き裂かれる主人公の存在から、変貌するアメリカが浮かび上がってくるのだ。

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(upload:2002/03/17)
 
 
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サバービアの憂鬱 第9章 アメリカン・ドリームの向こう側 ■

 
 
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