第8章 アメリカン・ファミリーの亀裂

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 広告代理店に勤める36歳のスターン氏は、これまで暮らしていた都会を離れ、妻とひとり息子とともに郊外に家を買う。ところが、この実に小市民的な主人公は、家を購入する段階からすでに夢を実現するのだという前向きな気持ちとは程遠い。彼の気持ちの描写には、おどおどした落ち着きのない感情がにじんでいる。

手続きのいっさいが終わったところで、スペンサー氏は家の鍵を渡し、市内にしか住んだことのないスターンは、とたんに、郊外に出ることが恐くなった。「こんな所」で、おれはほんとうに暮らす気があるのかどうか、考えるとゾッと寒気がするのだった。

 そして実際のところ、郊外の家は住めば都というようには事が運ばない。気づいてみれば彼は、都心の会社まで往復3時間かけて通わなければならないはめにおちいっている。しかも近道の木々がしげる場所は、スターン氏が通るたびにどこかの家の番犬があらわれ、彼の手首をくわえこむ。庭の木々はちょっと手入れを怠ったすきに、毛虫に襲撃され、すべての木が半分だけ食い荒らされて、“半ペラ”になってしまった。そして、こうした不満も何とかなるのではないかと楽観的な気分になったときに、スターン氏にとって最もいまいましいことが起こる。

 彼の妻が、近所で息子の遊び相手になってくれそうな男の子のいる家を、息子と訪問したときのこと。子供たちが駆け寄ろうとしたとたん、子供の父親が芝刈りの手を止め、彼女を突き飛ばし、自分の息子を抱きかかえて「ユダ公とは遊ばせんぞ、ここじゃ」と言った。さらにスターン氏にとって打撃(?)だったのは、突き飛ばされて転んだときに、妻のスカートがまくれあがり、しかも、下には何もつけていなかったという話だった。

 こうしてスターン氏の頭のなかで、このユダヤ人を差別する男は宿敵“ユダ公”となり、被害者意識がどんどんふくれあがり、町の住人全員を敵にまわし、彼ははかない抵抗を始める。通勤の行き帰りにその男の家の前を通るたびに、彼のなかで男に対する妄想がふくらみ、何とか復讐できないかと考え込む。そんなふうにしてストレスがたまるうちに、彼は胃潰瘍になり、会社を休んで療養所に入らなければならなくなる。彼のイライラはこんなふうに表現される。

 毎日、この時刻になると、家に帰ることを考えねばならぬ。長い時間列車に揺られたあげく、車でユダ公男の家の前を通らなければいけない。人に話しかけたり、無理に冗談を飛ばしたり、いろいろ気をまぎらわそうとやってみるが、結局は会社という安全地帯を後にするほかない。(中略)ユダ公めがけて帰って行かざるをえぬ。毎晩、スターンは駅で新聞を買い、元気はつらつとした男たちの間に腰を下ろし、通称「チャーリー旦那」という顔なじみが下水管の冗談をいえば、頭をもたげて聞き、落ちのところではばか笑いする――まるで、スターン自身も家の下水管の故障に悩まされており、やはり下水のトラブルが人生の一大関心事であるといった顔をして。やがて、新聞に顔を埋めたスターンは、海運面といったもっともらしい部分に目を注ぎ、ほとんど物理的とさえいえる努力を重ねて、周囲の人間のなかに融け込もうとする。まわりの連中と同じ姿になれば、同じ人間になることができ、下水管と郊外生活の楽しみが待っているわが家へまっしぐらに帰って行ける、とでも言いたげに。が、降りる駅が近づくと、のどのあたりで、パニックが始まる。海運ニュースはぼっとかすみ、スターンは思う――もう一駅乗りこして、新しい土地に降り立つことができればどんなによいか。

 

 

 
 
 


 ここには第6章で触れたような、郊外のなかでマイノリティの人々が民族的なアインデンティティを喪失するという現実が、ブラック・ユーモアとして描きだされている。主人公スターン氏はこんなふうに、抵抗するというよりは自分の世界のなかでひたすら悩みつづけていくのだ。そんな悩みからふくらむ想像や妄想は、戦争中の軍隊生活や療養所の生活と結びついて、“組織のなかの人間”の物語が広がっていくのだ。スターン氏の気持ちをとおして、常識はずれの危険人物もいるにはいるが、個性的な人々であふれる療養所と、郊外の世界が対置されるあたりは、いかにも60年代らしい視点を感じる。

 そして、いまいましい出来事から1年半くらい、さまざまな妄想に悩まされたスターン氏は、ついに意を決してユダ公男に決闘を申しこむ。殴り倒されて家に戻ってきたスターン氏は、“ちょっと芝居がかったことをやってみたくなり”、妻と子供を抱きしめてみる。この結末には、誇大な妄想からふと目覚め、自分の前にあるものをそのまま見つめるような落差があり、ウディ・アレンにも通じる話術が印象に残る。

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 60年に『走れ、ウサギ』を発表して注目を集めるようになったジョン・アップダイクは、平凡な中流の世界を描く代表的な作家といっていいだろう。アメリカ文学の最先端に位置する作家たちを網羅した(といっても、発表されたのはだいぶ昔であることを考慮に入れてもらわなければならないが)『言語の都市』のなかで、著者のトニー・タナーはアップダイクという作家について、次のように書いている。

アップダイクはニューイングランドの郊外生活に題材をとっている。そしてアメリカの大部分の小説家が、中産階級をリアリティを持たぬ不毛の領域と見ないしていると思われる現代において、彼は中産階級の生活はアメリカ文学で一般に認められている以上に複雑であると主張し、またそれを証明しているのである。

 そんなアップダイクの作品のなかで、郊外という主題で最も注目したいのは、68年に発表された長編『カップルズ』である。この実に長大な小説は、郊外化をめぐるひとつの時代をまったく独創的な視点で切りとってみせる野心的な作品である。

 この作品には、ターボックスという郊外の町に暮らす10組の夫婦の物語が描かれ、情事やスワッピングも盛り込まれているので、セックスを題材にした野心的作品とも思われかねないが、それだけではこの小説にこめられた野心がずいぶん底の浅いものになってしまう。その独創的な視点を短い言葉で要約するのは容易ではないが、チーヴァーの章ですこし触れたように、郊外という容器に10組の夫婦を放り込み、その化学反応を見つめるといえばわかりやすいだろう。この化学反応には、歴史や世代、信仰などさまざまな要素が触媒になっている。

 実験の容器であるターボックスは、マサチューセッツ州プリマスにあり、ボストンから27マイルの距離に位置する海辺の町である。この古い歴史を持つ町は、時代の流れのなかで郊外の町へと生まれ変わろうとしている。

 ターボックスの中央部1マイル四方の中には、いまではプラスティック工場に変わったメリヤス工場、40軒に近い店舗、数エーカーの駐車場、何百軒もの小さな庭のついた住宅があった。様々な家がまじりあっている。17世紀の原型をとどめた塩入れ型(植民地時代の建築で前面は2階、後ろは1階の建物)のキンボール家、シーウェル家、ターボックス家、コグズウェル家が、緑地からのびる不安定な、いかめしい風変わりな名前の田舎道にそって並んでいた。屋根に手摺つきの物見台のある北部連邦特有の四角ばった家。織物のさかんな時期を現わしているけばけばしい住宅。織物職人たちがポーランドから輸入した堅い煉瓦で作った路地が家までつづいている。ずんぐりしたヴェランダ、せまい煙突、辛子、パセリ、石墨、葡萄酒などの様々な色彩を組み合わせた下見板の、大恐慌前に建った中産階級の住宅。

 時代は1963年。物語はまずこのターボックスの町に新しく夫婦が転居し、他の登場人物たちのコミュニティに迎え入れられるところから展開をはじめる。この新来の夫婦が加わったことで、中心的なキャラクターとなる10組のカップルがそろう。その10組、20人のキャラクターはていねいに描き分けられ、小説はかなりの長さがある。それだけにまともにストーリーをたどれば、誰が誰だかわからなくなってしまうのがおちなので、物語の流れは無視して、“化学反応”の面白さを中心に書いていくことにする。

 古い家も残っていて、歴史を感じさせるターボックスの町だが、住人については、「ほんとうのターボックスの住人の最後の生き残り」である老夫人を除くと、すべてどこかから転居してきた人々である。住人たちは、世代や学歴、階級意識、町にやって来た時期などによって壁を持ち、必ずしもひとつにまとまったコミュニティを作っているわけではない。

 63年に新来の夫婦が加わって10組になった夫婦たちは、彼らだけでひとつのコミュニティを作っているが、他の9組の夫婦ももちろんいっしょになってこの町にやって来たわけではなく、何年かたつうちにかたちができあがっていった。彼らのなかで最初に町にやって来たのは、アップルビイ家とスミス家で、それからオング家とサルツ家が57年に、ハネマ家とギャラガー家が58年に、コンスタンティン家が60年に、そして63年のいまホイットマン家が引っ越してきた。わざわざ10組全部には触れなかったが、だいたいこんなふうにして50年代半ばから63年にかけて8年のあいだに彼らのコミュニティがつくられたことになる。それは、町の他の住人たちの価値観や新来の夫婦が加わるたびに持ちこまれる価値観などが相互に作用してできあがっていったコミュニティなのだ。

 郊外を舞台にした小説は、すでにコミュニティができあがっていて、設定の一部になっているものがほとんどだが、この小説の場合は、コミュニティの生成過程が緻密に描かれていくところにまず興味をそそられる。たとえば50年代半ばに、アップルビイ家やスミス家がターボックスにやって来たとき、この町はそれこそまだ牧歌的な田舎町だった。そのころ彼らはもっと年配の人々と交際していたが、「無知で田舎くさくて騒々しい」彼らに嫌気がさし、自分たちのグループの輪を広げていくことになる。フランク・アップルビイの妻ジャネットが、「ただ大学出という以外に取り柄のない」サルツ家やオング家に社交を申し入れたのは、そうした地元の人々があまりにも異質で、すこしでも共通のものを持っている家庭を求めたからだ。

 戦地からの復員軍人で大学で学ぶこともなく、この地方の仕事をしている戦後成金である造船所の連中は、こういった若い層のよそよそしい夫婦たちこそ、この町をゆたかにしてくれるお客であることを知っていた。それで彼らが別の社交界を作ってしまい、こちらは酒とブリッジ・ゲームと、アンツィオやガダルカナルの血沸き肉踊る思い出話に耽るほかなくなったときでも、ちっとも悔やみはしなかった。

 とまあこんなふうにして、まずコミュニティの最初の境界ができあがる。もちろん主人公になる夫婦たちは、戦争の思い出に耽るというような過去を振り返る体質は持ち合わせていなかったことだろう。それでは、主人公たちのコミュニティの基盤をなす価値観というのは、「大学出ということ」の他に何があるのだろうか? 50年代半ばに町に最初にやって来たアップルビイ家とスミス家は、そんな価値観の基盤をつくった人々だが、アップダイクは彼らが生まれ育った時代背景や状況について、次のように饒舌に描写している。

二人とも、大不況や世界大戦という大動乱期にも厳しい束縛と躾によって奥ゆかしい品位を保とうとする富裕階層の生きかたに穏やかながら反逆するといった、上流中産階級のあの特異な世代区分に属していた。このような国家的試練のさなかに何不自由なく育ち、成人すると、浪費的経済の中へ引き込まれた。さわやかな若々しい幻影と人間性剥奪の内実とが奇妙に混じり合い、細分化されつくした場で行われるささやかな賭けの勝利感と、税金やら何々委員会やら軍備重点主義やら、あの手この手であらゆる領域に制限を設け抜け道を塞ごうとする政府の圧迫とが、奇妙にまじりあった実業界の雰囲気の中へ。指導者層が古ぼけた道徳律を利用して、ある種の狡猾な施策をカムフラージュしている国家の中へ。青春の情熱とホモセクシャルの哲学とが、まだ完全に勝利を占めるまでに至っていない文化、いまなお外部からあまりにも公然と脅かされているので、容赦なく自己誹謗にうつつをぬかすわけにもいかないといった国によくある、いまなおこっそりと快楽主義の美味を味わっているような風土。あらゆる一般論がたとえ否定的なものであろうとも的はずれなものに見えてくるような、一日一日が独立していて明日の予測がきかないような過渡期の風土。

 つまり、彼らは旧来の価値観を信奉するほどには年取っていないが、しかし、最も新しい価値観を積極的に取り込めるほど若い世代に属しているわけでもないという意味で、中間的な存在だといえる。アップダイクは、この社会的な視点をすぐ後のところで、より生活に根ざした現実的な視点に置き換えて、彼らの価値観を表現している。長い引用になってしまうが、これを読めば彼らの両親の世代がつくりあげた生活に対する反発が、コミュニティの基盤と結びついていく過程がくっきりと浮かび上がり、アップダイクがその部分にこだわっていることがおわかりいただけるだろう。

 アップルビイとリトル=スミスとは、自由で柔軟で、立派な精神を持ちつづけたいという控え目な決意をこの新しい世界に持ち込んだ。乳母や家庭教師や「お手伝いさん」によって両親と隔てられて育ったけれども、自身は睦まじい大家族が欲しかった。自分の手でおむつを取換え、自分の家の雑用や修理仕事をし、また庭いじりや雪掻きなどをすると、ますます健康状態が好くなってくる。子供の頃は黒いパッカードやクライスラーで送り迎えされたものだが、今では詰め合わせのキャンデーのような雑色の中古車を自分で運転した。幼い頃から寄宿学校へ追いやられたものだが、今では地域の公立学校を利用し、それを改良するつもりだった。両親の厳格な結婚観やら、危険を避けようとする形式主義に苦しめられたもので、夫婦間の気楽で開放的な交流を母体につくりあげられた純粋な誠実さに代償を求めた。カントリー・クラブという形式のかわりに、形式ばらない友だち仲間をつくったり、持ち回りのパーティやゲームの催しに集まったりすることを考えだした。小うるさい区別だてや退屈で回りくどい礼儀作法によってがんじがらめになった、自分たちが育った土地である格づけのやかましい避暑地などにはもう見向きもせず、平凡で目立たない土地、たとえばターボックスのような牧歌調の、水車のある町に一年中腰を据えて、ここで新規まき直しをしたかった。彼らの理想は、義務と労働よりもむしろ真理と気晴らしとだった。生きがいは、もう神殿や株式市場ではなく、家庭で――自分の家庭や友人の家庭で追及されるようになった。 ==> 3ページへ続く

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